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君たちはどう生きるか(新装版)紹介・考察②

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前回の4章「貧しき友」の続きです。

さて、前回にてコペル君の答えについて自分が感じた違和感を書いていこうと思います。

ペル君の答えは巻末の方に書いてあるので、ネタバレが嫌な人は以下本文は見ないようにお願いします。

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本文

この本の10章「春の朝」の終わりの方で、おじさんのノートを渡されたコペル君が、おじさんに宛てて自身のノートを書き出した章になるのですが、その中で先のおじさんの問いについて、

「僕は消費専門家で何一つ生産していません。~省略~しかし、僕はいい人間になることはできます。自分がいい人間になって、いい人間を一人この世の中に生み出すことは、僕にもできるのです。そして、そのつもりにさえなれば、これ以上のものを生み出せる人間にだって、なれると思います。」

という答えを出しています。

この部分にすごく違和感があるのです。ここで言う、いい人間とは第5章「ナポレオンと四人の少年」で、おじさんノートにある「偉人とか英雄の中で本当に尊敬できる人とは?」を表していると私は解しました。

もしもそうであるなら「コペル君はずいぶんと大きく出たな・・・」というのが感想です。

また、いい人間=文字通りの良い人(善良な人)の意味であれば、性善説的に誰しも良い人間になろうと心がけることはできます。しかし、実際は環境やその時の状況で悪い人間になってしまう。でなければ日常で犯罪のニュースが飛び交わないと思う。

この本は、子供たちがどう生きていくのか、どう育っていってほしいのかが主の話です。

そういう意味で子供たちに良い人間になってほしいという話で締めくくりたかったのかもしれません。

が、大人がこの本を読んで共感するのは、過去の自分のとらえ方と今後の考え方・価値観の再確認のような気がします。

その点で、コペル君(子供)と自分(大人)の違和感は仕方がないのかもしれません。

では、おじさんの問いについて、

「自分では気がつかないうちに他の点で、ある大きなものを日々生み出している。それは一体何だろう?」

自分の現時点での答えは、

自分の道を生み出している。道とは自分の人生のことで、今この時に歩いている道である。道は現時点の自分の状況・思想・価値観などを基に自身の選択(自己決定)により道を作り、作りながら歩いてる。」

抽象的な何とも言えない答えではありますが、自分ではたぶんそうだと思います。

共感できる・共感できない・何言ってるんだ、コイツ・・・というのもありますが、

前回の引用になりますが、おじさんはこの答えについて、

「(答えを)人から聞いたって、君がなるほどと思えるかはどうかわかりはしないんだ。自分自身で見つける事、それが肝心だ。」

と、人それぞれで出す答えが違う。コレが前提となります。

各章でおじさんノートの深い趣向がこらしてありますが、この章が一番読者に問いてきますね。

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