「From Dust to Dust」人は塵から生まれて塵に返る
学長お勧めの本、「タルムード」金言集の三章のテーマより。
ちなみに、「タルムード」とは多くのノーベル賞受賞者を輩出し、世界的お金持ちが多いユダヤ人が、口伝律法とヘブライ学者の議論を書き留め、少なくとも約1500年前には今の形に編纂されていったものだそう。あらゆる事柄についての色々な規範とそれに関する詳細な議論の全てを記してあるようです。
そんなタルムードからの説話をユダヤ人の母は子供に読み聞かせ、「あなたならどうするか?」を問いかける。そして子は答えを模索し、答える。しかし、母は何故そう考えたのかを子に問いかける・・・
その繰り返しを行って教育をしていくようです。例えるなら、物事の本質を問い続ける、そんな感じですかね?
そんな「タルムード」を日本人でありユダヤ教に改宗した著者が、説話を通して困難の乗り越え方を日本人に学んでほしいと書き起こしたのがこの本です。
さて、今回話すのは日本のことわざ「衣食足りて礼節を知る」をユダヤ人はどう受け取るか?です。
意味:人は、物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる。(参照:コトバンク 様)
↑これは日本での意味です。余裕があることで初めて礼儀に気を付けるというですね。しかし、この本の著者は、この言葉と日本の豊かさに疑問を呈しています。十分な豊かさがあるのに我欲により物を盗む、十分に豊かであるのに他人と比較し、満足できずに我欲を貫く。これが豊かさ、礼節なのか?
ユダヤ人はむしろ、「衣食足りると礼節を忘れる」とする。苦しい時期を忘れると人としての自覚を忘れると考える。ちなみに中国も衣食足りたら物事の節度や倫理を忘れ、礼節を忘れる。だから孔子の儒教は『礼』を繰り返し教えるそうです。特に刺さったフレーズは、
「人間は学ぶことによって、本能だけに支配される動物ではなく、人間になる。」
まさに性悪説ですね。日本は性善説寄りになるのかな?
ちなみに本能というと、人間の三大欲求:食欲・性欲・睡眠欲が挙がりますが、ふと調べてみるとこれは日本での考え方のようで、他国ではこの三大欲求ではなく五大欲求や七つの大罪などが挙がります。読書など学習を進めるうえで、この本能が曲者なんだなと実感し始めています。
何かをしようとすると、それを止めようとする本能。こやつが厄介なのです・・・
タルムードの内容は以降も取り扱っていく予定です。
コメント