レストラン店員「以上でメニューはお揃いでしょうか?では、ごゆっくり。」
俺「・・・あれ、今日は一品サービス付けてくれないんだ(何か悪い事でもしたかな?)」
今回紹介するのは、時代劇漫画:子連れ狼の原作者でもある小池一夫さんの著書「人生の結論」からの一節です。
ちなみに2001年に映画公開された釈由美子主演の修羅雪姫の原作者でもあります。当時、ビデオ借りて観てたのですが、白い服(だったかな?)を着た釈由美子が透き通るようにキレイで、かつ軽快な戦闘シーンを繰り広げ、当時はイケメン傾向(筋肉主体ではない)で俳優してた頃の伊藤英明が出てたのを覚えています。(それから、数年後にキノコの件とか「おいきなさい!」方面にいったわけですね)
本題:人付き合いの幼稚化について、
若い人たちの共通点として、行きつけの定食屋で店員にフレンドリーにされると次から行く気が失せるというものがある。しかし、その店も店員も嫌いではないらしい。
コンビニなどでも「いつものですか?」と言われただけで他のコンビニに行くようになるとのこと。(…エロ本とか買った時にフレンドリーにされたら、もう行かなくなるかもね)
ちなみに、このお話は4コマ漫画:オタリーマンでも同じような話が書いてありました。
私も作者と同様で、何か一品でもサービスされたり名前を呼ばれる程に覚えてもらっているなら嬉しいと感じるものですが、彼らにとってはその店に行かなくなるほど嫌な事のようです。
ですが、見方を変えた場合、もしも自分以外の人に店員さんが色々サービスしているのを見ると、多少苛立ちと言うか嫉妬を感じる事はあります。
人間、誰かがエコヒイキされているとムッとしてしまうのかもしれません。
リアルな世界でもネットの世界でも、人との触れ合いを求める人は多いのに、人とリアルにつながるのは面倒くさい。
・・・コレ、わかります。
友達は欲しいけど、その関係に縛られるのはもっと面倒くさい。同様に、結婚はしたいけど、それに伴う制約は面倒くさい。
著者曰く、こう考えるのは子供の論理で、そもそも人と人との関係は面倒くさいモノです。その面倒くさいを自然にこなせるのが成熟した大人なのだそうです。
私的には、会社内はともかく、プライベートは自分の好きなようにさせてほしいという感じはします。
一時期の私は、「やれ、取引会社のイベントだ!この部署は全員参加!」とかに引っ張られまくりました。(そもそも、そういう部署でもあったのですが…)
しかし、昔は昔です。今はもう、そういうのには極力行かないようにしています。
なのですが、今更ながら一番気になったのは、人手が足りない時に他所から応援で人を呼んでおいて、お世話になっておきながら、そのお別れ会に上司一人も来ないとかどういうことよ?そして、何故一番疎遠な私が呼ばれる…?
「各部署ごとでどうしても何人か要って~」「会社協賛のイベントだから~」とか、色々ありましたが、どうしても参加せざるをえないモノについては、文化的なモノなら程度にしています。
正直、球技とかスポーツがどう見てもできないだろう人に頼むなよ…アレ、そんな人には地獄なんだぞ…
文化的かどうかは置いといて、ゴミ拾いはすこぶる頑張ってしまう人ではある…(頑張った翌年にはだいぶゴミが減っていて、少し誇らしげだった)
それはさておき、マエフリの件で「前に来たときは一品サービスされたのに、今回ないのは僕に何か気に入らない事でもあったのか…」
と、思ってしまう人もいるようです。(私もそんな人)
そんな時は、「この前は偶然余っていたものをサービスしてくれたんだな(ラッキー♪)」程度に考えれば良いのかもしれません。
まだすべて読んだわけではありませんが、読んだ雰囲気としては前回の記事↓に通ずるお話のような印象を受けました。
★「多分、そいつ今ごろ…」な話
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