あなたならどうする?少数を犠牲にして多数を助けるか、それとも?
前回に続き、今日のワードも「デイグラシアの羅針盤」で知ったワードになります。
デイグラシアの羅針盤については、ネタバレしない程度に紹介記事を載せてます。
気になった方は以下にリンク貼っておきますね。
このトロッコ問題は、すごくざっくり例えると、映画「天気の子」のようなお話になります。
功利主義(最大多数の最大幸福)と人間の倫理を問う問題の様で、以下に例題①を作ってみました。
要は、大多数を救うために少数を犠牲にすることは道徳的に許されるか?という問題です。
例題①:このままでは5人がトロッコに轢かれてしまいます。
ちなみに縁さんの場合は、
この艦の責任者であり、彼女の責任感の強さと過去の出来事も相まってボタンを押す為に奮闘します。
ちなみに、私が最初にこの問題の答えを考えた際、縁さん同様に「ボタンを押す」を答えにしました。
その時の私は、少数を犠牲にすることは道徳的に許されるという答えを選んだことになります。
これはあくまで、個人の倫理としてどうなのかを問う問題です。
では、次の例題②を考えてみてください。私はこの問題で答えに詰まりました。
例題②:例題①同様にこのままでは5人がトロッコに轢かれます。
例題①のように線路の分岐はありませんが、結果は変わらず、一人を犠牲にしたら5人が救われます。
ただ違うのは、分岐のボタンを押すわけではなく、自分がZを突き落とすという違いです。
・・・私の答えは何もしない(できない)に変わりました。
功利主義の立場で考えれば結果は変わらず、多数を救うことができるわけですが、機械的なボタンではなく、直接手を下すという、手段が変わっただけで答えも変わってしまいます。
こういうところがこの問題の特徴のようで、自分は偽善的だなとも感じてしまいます。
ちなみに、大多数の人は例題①は道徳的に許されるとし、例題②では許されないとするようです。
何故そうなるのかの人間心理については、興味を持った方はWikiなどで調べて頂くと、ある程度納得できるかと思います。
(ちなみに、この記事を書く上でWiki:トロッコ問題を参考にさせていただいております)
てか、縁さんもそうだけど、デイグラシアの羅針盤はワードネタに困らない豊富な言葉が隠されています…
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