フリューのARPG作品:クライスタ
その最たる悲劇:3周目
そのラスト直前の出来事に、もしもが存在したら…な妄想二次創作です。
千零・純百合?・クライスタらしい感じの物語です。
なお、重大なネタバレが含まれています!
クリア前に見ると折角の泣ける物語が台無しになりますのでご注意ください。
注意点として、各章毎のメインキャラ1人称視点で書いてます。
脳内妄想と私の主観・感性で書いてます。
状況補足など、絶対的に足りない文章になりますので、お読みになった各自でそのシーンを妄想補完していただきますよう、よろしくお願いします。
では、生温かい視線(?)でお読みくださいませ…
1章 エピソード零:分岐点1000
私の目の前に立つのは妹のみらい。
私がこの手で殺してしまった妹。
救いたかったみらい。
もう二度と手を離したくなかったみらい。
そして、禍々しい狂気のみらい。
「これからも、わたしとお姉ちゃん、永遠に…」
そのみらいが、私の目の前で2本の剣で貫かれた。
「・・・あ、れ?」
みらいの瞳孔は大きく見開かれる…
「相手をしてくれる約束だったな?」
その剣は突き刺した身体を左右に斬り広げていき…
「お姉…ちゃん…」
何が起きたのかわからない。
消滅していく、みらいの魂…
私に流れ込む、私が知らない両親とみらいの過去。
必死に両親に抗う過去のみらい。
私の妹でありたいと願う、本当の妹ではない、いもうと。
私は、もっとみらいを理解してあげるべきだった…
私に流れ込むみらいの記憶の映像は終わりに差し掛かり、私のみらいを消滅させていく。
消える映像と共に、私の視界に鮮明に映しだすのは、黒い少女。
私は、彼女が誰であるか…
理解したくなかった…
でも、その剣が誰のモノなのか、私は知っている。
「今の、なるほどな…お前たちは本当の姉妹ではなかったのか。」
私の脳は私の意思と無関係に、視線の先の少女の名を連想する。
「知らなかったよ。」
恵羽 千
私の辺獄での仲間。
大切だった…友達?
「血は繋がっていなくても、本当の…姉妹でした…」
もうわからない、わかりたくもない…
「あははははは!!!!」
突然、甲高い…そして気分を苛つかせるような双子の笑い声が聴こえる。
「コレは愉快な喜劇じゃった!」
誰の声かハッキリわかる。
でも私は、その視線を双子の片割れに移す気はない。
私の視線は妹を切り裂いた憎い相手に注がれる。
「つまらん終わり方になるかもしれん演目じゃったが…」
お構いなしにしゃべり続ける赤い悪魔。
「あははは…コレだからヒトって面白いよね…ボク、面白過ぎておなかが痛いよ…」
それよりも増して、人を不快にさせる緑の悪魔。
彼女も同じだった。
その視線は私に向けられている。
お互いが、今の状況を理解している。
相手から目を離してはいけない。
私達は、このルールを知っているから。
その隙にやられる。
私達は、しばらく相手の出方を窺い合う。
先に手を出したら、次にどんな反撃か来るかわからない…
読み合いに神経を集中している最中も、双子の悪魔は私たちの状況を不快に嘲り笑う。
その瞬間が訪れるのにそれ程時間はかからなかった。
真剣による決闘の緊張…それを解いたのは、驚くことに彼女だった。
「ワシらが少し手を加えてやっただけで、こんなにも面白くなるとはのう。」
理由はおそらく、赤い悪魔:メフィスが言った言葉だ…
「どういうことだ!?」
彼女の意識が、メフィスに集中する。
今、この瞬間が私にとっての勝機。
でも、私は…私は戦いを望んでいるわけではない…
「なんじゃ、聴こえとったのか? ワシとしたことが、しまったのう。」
「うふふ…メフィスちゃん…饒舌になるのが悪い所だよ…」
少し残念そうな表情を見せるメフィスを見て、そっとほくそ笑むフェレス。
「まあ、ココまで演じてくれたおぬしらにはスタンディングオベーションを送るつもりじゃったし、この際じゃ…言ってしまうかのう。」
間を置いて、メフィスは静かに語り出す。
「おぬしの見たアナムネシスじゃが…アレを演じたのはワシじゃ。」
「なにっ!?」
明らかに動揺を見せる千さん。
何を言ってるのか、私にはわからない。
でもおそらく、私達が別行動をしていた時のことなんだろう。
「メフィスちゃん…脚本・演出だけじゃなくて、舞台女優の代役までこなしちゃうの…凄いよねぇ…」
「そうじゃ、今ならサインを書いてやらんでもないぞ?」
「うふふ…メフィスちゃん、次のトニー賞は間違いないよねぇ…」
「そんな茶番はどうでもいい! どういうことだ、メフィス!」
苛立ちが隠せない千さん。
「せっかちな奴じゃのう。」
つまらなそうに髪を掻き上げるメフィス。何故か、イチイチ芝居が掛かっている印象を感じる。
「零は何か気づきかけておったようじゃが、今までおぬし達のまわりで起きた仲間の不可思議な行動や言動があったじゃろ?」
「アレらは、ワシらがもっとこの演目を素敵な舞台にする為に手心を加えておったのじゃ。」
「うふふ…そう、ボクたちが姿を変えて…この舞台をより良い喜劇にする為に…テコ入れっていうのかなぁ…」
私はアノ闇深い森での出来事を想い出す。
アノ時のおかしな言動の千さん。
777が想い出すことができなかった、アノ森での出来事。
おそらくその時、コノ双子の悪魔が悪意を吹き込んでいたんだ…
「まさかあの時、私が見た千さんは…777が見た私というのは…」
「そうじゃ、ワシらが化けて喜劇をよりよくする為の…」
「演出じゃ。」
双子の悪魔は不敵な笑みを浮かべ、さも練習してきたかのように声を揃えて言い切った。
「絶対に許せません!」
「ヘラクレイトス!」
私の守護者がフェレスを切り裂く直前…
突然背後に現れたメフィスから放たれた衝撃波により、私は吹き飛ばされていた。
「零よ、おぬし代行者のクセにワシら契約主に対して暴力を振るうのは関心せんぞ?」
「零ちゃん…零ちゃんを大好きなボクにいきなり斬りかかるなんて…ボク悲しいよ…しくしく。」
泣いたふりをしながらニヤリと笑う緑の悪魔。
「そうじゃぞ、零。千を見てみよ…」
メフィスはもう一人の代行者を指差す。
「ああいう状況こそが、人間が本来、この状況で行う行動じゃぞ?」
痛みに耐えながら、私は千さんを見る。
いつも毅然と振る舞い、かつて正義を掲げ強くあろうとしていた千さん。
今の彼女は、その見る影もなく、ただその場に崩れ落ち震えていた…
「零よ、千の姿こそがこの状況での人間の正しい姿じゃ。」
他人を不快にさせる笑い…
「アレが…大切な…たぁいせつなヒトを…」
他人を苛立たせる口調…
「己が過ちで殺めた者が、その後悔で押しつぶされる姿じゃ。」
その言葉で、私は想い出した…
そうだ、私も…
あんなにも嬉しそうに駆け回っていた…
大切な友達を、この手で…
悪魔が言っていたことは正しい。
私は、忘れたふりをしていただけ。
いつもの様に、考えないようにしていただけだった…
「777…」
私も、千さんと同じだ。
「ふむ、そうじゃぞ零。仲間を殺したのは千だけではないのだからのう。」
「零ちゃん…その事忘れちゃったら…777ちゃんがかわいそうだよね?…そうだよねぇ?」
忘れてはいけない、私の罪。
想い出してしまった。
想い出したから…もう私は…
立ち上がることはできない。
「さて、ではそろそろ本題に移るとしようかのう。」
「二人とも…もう立てないかもしれないけど…話だけはちゃんと聞いてよね…」
勝ち誇るかのように、双子の悪魔はただ喋りつづける。
「今まさに、おぬし達は再び牢獄に幽閉された状況じゃ。」
「また閉じ込められちゃったね…どうしようねぇ?」
「ここから出る方法は勿論、先程千が殺した幽鬼の姫のルールと同じじゃ。」
「一つルールを付け加えるなら、生き残った方は代行者の契約をなかったことにしてやってもよい。」
「またどちらかがその手でぇ…うふふ…大切なお友達を殺しちゃったら…おめでとう!」
「このゲームをクリアだね…良かったねぇ!」
「じゃが、ワシも鬼ではない。」
「悪魔だけどね…」
「コレは極上の喜劇を演じて魅せた、おぬし達への感謝じゃ。」
「もし、今まで通りワシらの代行者として命令に従い、辺獄の幽鬼を狩り続け辺獄の管理に手を貸すなら…」
「この場から2人とも現世に戻らせてやろう。」
「メフィスちゃん…優しいね。慈愛の心だよね…」
「おぬしらも聞いたことはあるじゃろ? コレは天界から垂らされた一本の蜘蛛の糸じゃ。」
「辺獄から…が、正解だけどねぇ…」
「その糸は繊細。すぐにでも切れてしまいそうな、そんな脆い糸。」
「ボクたちの気が変わるかどうかだもんねぇ…」
「さて、そんな脆い糸を掴むか…」
「それとも…どちらか1人が辺獄から抜け出すか…」
「どちらを選ぶ?」
双子は声を揃えてそう告げた…
いつも思う。
絶対に練習してるんだ。
息を合わせて、私達を挑発してるんだ…
もし、私が千さんを殺せば…
この理不尽な状況から逃げだす事が出来る。
でも、そうすることで私は…
今度は選択肢を選べる状況なのに…
私は、自らのエゴで千さんを殺すことを選ぶ事になる。
崩れ落ちたままずっと震え、黙り続けている千さんを見つめる。
千さんはただ俯いて震えたままだ…
お互いが何も言えない状況のまま、どのくらいの時を無言で過ごしたのか?
この極限状況の感覚ではわからない。
しばらくして、最初に言葉を紡いだのは千さんだった。
「一つ訊きたいことがある。」
「なんじゃ、千よ?」
「もし、この場で…あたしがこの剣で…あたしのを首を搔き斬った場合はどうなる?」
「ほう、それは想定外な選択肢じゃな。」
メフィスは驚いたようだ。
でも、それもほんの一瞬だった様に見える。
「それも一興かもしれんが、そんなものは喜劇の演出としては三流じゃな。」
「選択肢は、①二人で幽鬼を狩るこのゲームを続けるか?」
「②一人だけ、もう一方を犠牲にしてゲームをクリアするか? この2択じゃ。」
「…そうか。」
千さんは、選択肢を決めたようだった。
「零、すまないがこの選択は私が独断で決める。悪く思うなよ…」
その剣で体を支えながら、千さんは立ち上がり、双子に対してこう告げた。
「その蜘蛛の糸、掴ませてもらう」
次に私が気づいた時、私はいつもの様にベッドで眠っていた…
ただ、いつもと違うのは…
「あれ、私…泣いてたのかな?」
2章 エピソード千:罪人
「ウチ、そんな融通利かへん所も結構好きやったんやけどな…」
寂しげに語る人がいた。
「…貫き通せ、ソクラテス。」
あたしは、その人の事を許せなかった。
「ほんまに、残念や。」
「こんな結末しかなかったなんて、信じたないけどな。」
復讐という、あたしの信じる正義に反する口上を垂れ、母さんを何度も何度も殴りつけた憎むべき人。
「あたしは、母さんの仇を取る!」
「小衣! コレはおまえが何よりも大切にしていた復讐だ!」
「やめてくれ!」
いつもの日常…
「もう嫌だ、たくさんだ!」
辺獄でのアノ出来事以来、毎朝夢に見るアノ時の記憶。
「お願いだ、許してくれ…小衣さん…」
全身から流れた汗で枕もパジャマもずぶ濡れだ。
オマケに涙が乾いてまつ毛が固まり、目を開けるのを妨げる…
幾度も悪夢は、あたしの心にアノ出来事を忘れるなと警告する。
「悪夢…」
「いや、コレは罪の烙印だ…」
震えた身体はしばらく動いてくれそうもない…
あたし達が蜘蛛の糸を掴んで以降も、赤い悪魔:メフィスからのシレン催促の電話は鳴り響く。
辺獄のルールを逸脱する幽鬼と幽者を討伐するシレン。
辺獄の管理者を称する双子の悪魔の代わりに討伐に向かう者:代行者。
その契約を結んだ以上、このシレンはずっと続く。
それは零も同じ。
アノ場で、あたしの提案は認められなかった。
ならば、もうコレ以上…
アノ出来事の後、メフィスの電話がかかってきた際、あたしは無理を承知で頼んだことがある。
「希望を言えた立場ではないが、もしも…」
「もしも叶うなら、以降のシレンはあたしと零を別々のシレンに向かわせてほしい。」
「ほう、何故じゃ?」
電話越しの声からでも、メフィスが卑しい笑みを浮かべているのがわかる。
「零とは会いたくない。あたしは零に関わるべきではない。」
コレは本心だ。
もし、零に出会ったら…あたしはどんな顔をすればいいのかわからない。
双子の謀に気づく前の不信感しか持っていなかったアタシの顔か?
それとも、毎朝罪悪感に打ちひしがれ、泣き疲れてボロボロになったあたしの顔か?
「ええ…どうして? あんなにかわいい零ちゃんに会いたくないの?…ねえ、どうしてなのかなぁ?」
更にあたしを不快にさせる緑の悪魔:フェレスの声も聞こえてくる。
「あたしからは、それ以上は言えない…」
「ええ…お願いしてる立場なのに…それってちょっと傲慢だよね?」
「フェレスの意見がもっともじゃな。」
「だが、この前も言ったがワシも鬼ではない。」
「よかろう、零には別のシレンをあてがおう。」
「助かる…」
「とは言え、おぬしのワガママに付き合う以上…そうじゃな、千には厄介な幽鬼のシレンに向かってもらおうかのう。」
メフィスのにやけた顔が目に浮かぶ。
「…感謝する。」
あたしはどうなっても構わない。
幾度かのシレンを乗り越え、あたしは今も生きている。
メフィスの計らいのおかげか、アレ以降零とは会っていない。
有難いことだと思っている。
罪の烙印は消えることなく、今朝もあたしに罪人であることを自覚させる。
母さんが生きていたら、きっと心配するだろう…
今もあたしの生活を支える為、信じた正義を貫く為に働く父さんの為に…
あたしは衰弱していく身体を騙し、気丈でありたいと願っていたアタシの顔を作って学校へ通う。
それが、罪人である…あたしの両親へのせめてもの贖罪だ。
学校から帰宅する途中…
その日、いつもの通学路で人混みが出来ていた。
何かあったのだろう、けたたましいサイレンを鳴らし救急車が走り出す。
興味が沸いた…というわけではないが、人というものは自然とソレを目で追い、ソノ非日常を確認してしまうものらしい。
ソレは正面衝突による交通事故現場だった。
事故を起こした車は大破し、フロントガラスは砕けて周囲に散っている。
ソレだけならまだ良かった。
あたしは見てしまった…
怪我を負った当事者達は既にいない。
その現場に残されたおびただしい…
紅い液体…
時間がたったのか、紅いと表現すべきではない…紅く黒い…
遅かった…
視覚の後に、微かに流れてくるアノ臭いが鼻腔に入ってくる。
血の匂い、死の香り…
近しい人の死…
かつて大切だと思っていた仲間へ剣を突き刺すアタシ…
大切な仲間の死…
仲間だったモノを見下ろすアタシ…
あたしは急いで路地裏へと駆け込んだ…
ムリだ、耐えられない…
我慢なんて到底無理だ…
あたしは路地裏で泣きながら嘔吐した…
少しだけ落ち着いたが、まだ私の胃は何かを蓄えている…
未だに荒々しく続く呼吸と、震える身体…
崩れ落ちた身体は、しばらく自由に動いてはくれそうもない。
こんな姿、誰にも見られたくない…
「あの、ひょっとして千さんですよね?」
最悪だ…
「…千さん、大丈夫ですか!?」
その声はあたしの背後から聞こえ、徐々に近づいてくる。
「…来るな、零!」
身体は動かない、呼吸も苦しい…
でも、あたしは叫んだ。
「頼む、放っておいてくれ…」
息も絶え絶えに叫ぶ。だが…
「聴こえませんし、聞きません!」
零のこういうところがたまに怖いと感じる。
あたしの制止も聞かず、零は横にしゃがみ、あたしの背を擦る。
「何があったんですか?」
言えるものか…
「酷い、震えてるじゃないですか…」
心配そうにあたしの顔を見つめる。
やめてくれ…
あたしは力の入らない腕で零を払い退けようとした。
だが、自由が利かない身体は体勢を崩し、そのまま零に身体を預けていく。
「千さん!?」
急に身体を預けられて戸惑う零…
「す、すまな…」
そこまで言いかけた時、あたしの中に溜まっていた液体と固体と溶解しかけたモノがあたしの胃を駆け上り…
壮絶な光景がそこにはあった…
あたしの吐瀉物で汚れたあたしと零…
地獄絵図とはこの光景を指すのかもしれない…
「ええっと…」
零がどうしたものかと困った顔をする。
「ほんとうに…すまない…」
それしか言えない…
「…とりあえず、お時間取らせませんのでコチラに来てもらえますか?」
「…どこへ、だ?」
「私の自宅です。ココから近いので…」
もうこれ以上、零に迷惑を掛けることは出来ない…
「すまない、ソレは断らせてもら…」
「千さん…」
いつぞや見た、アノ顔だ…
アノ美しくも恐ろしい、闇を抱えた零の微笑…
「私を穢した責任、とってもらいますね…」
こうして、あたしは零に肩を貸してもらいながらフラフラと幡田邸に連行される。
3章 エピソード千:2人の正義
どういう経路でここまで来た(連行された)のか覚えていない。
零に肩を貸してもらいながら、汚れきったあたし達は零の自宅に到着する。
着いてすぐ、案内されたのは風呂場だ。
「とりあえず、千さんの制服はこの風呂桶に入れておいてください。洗濯しますので…」
「ほんとうに…すまない…」
「あと、バスタオルはココにありますので使ってください。」
「ほんとうに…すまない…」
「とりあえず湯舟は張っておきますので、シャワーを浴びてから入ってくださいね。」
「ほんとうに…すまない…」
零は困った顔であたしを見て、ため息をつく。
「では、ごゆっくり…」
それだけ言って零は脱衣所を出た。
あたしは言われた通りに制服を脱ぎ、シャワーを浴びる。
零のシャンプーか、それともアイツのか?
シャンプーに罪はないのだが、できれば零のモノであってほしい…
シャンプーを手に取り、香りを嗅ぐ。
恐らくコレは、零の髪の香りに近い。
少量拝借して、あたしはあたしに漂う、人を不快にさせる刺激臭を取り除くことにした。
身だしなみとして、毎日風呂に入るのは人としての当然のルールだ。
だが、他人の家の湯舟を借りるというのは…いつもの事なのに、なんだか気恥ずかしい。
湯舟に浸かりながら、ただ無心で時間が経過するのを待った。
「千さん、趣味に合わないかもしれませんが、着替えをココに置いときますね。」
脱衣所から零の声がする。
「あと、千さんの制服の汚れが酷いので、洗剤の付け置きしてから洗濯しますね。」
「ほんとうに…すまない…」
零はあたしに聞こえる様に大げさにため息をついて出ていった。
十分に温まったのもあり、身体と緊張もほぐれ、あたしは自由に動けるようになった。
零の服だろうか?
用意された着替えに袖を通し、脱衣所を出る。
出た矢先、零が廊下で待ち構えていた。
「少しサイズが合わないかもしれませんが、すいません。」
「いや、こちらこそ気を使わせてしまった…」
「気にしないでください。では、次に私がお風呂に入りますので、2階の私の部屋で待っていてください。」
「いや、そんな…あたしはもう帰らせて…」
「私を穢した責任…」
「ほんとうに…すまない…」
この言葉を言われたら、あたしはもう零に頭が上がらないかもしれない…
零が脱衣所に入ってから、出来るだけ失礼がないように2階の零の部屋へ直行する。
零の部屋に入ったのは勿論初めてだ。
部屋の造り、内装…ともに零らしさが出ていてとても好感が持てる。
テーブルの上には零が用意したものか、良い香りのする紅茶の入ったティーポットが用意されていた。
部屋の主人がいないのに先に客が頂いて良いものか思案したが、アレから水分を一滴も飲んでいない…
すまないと零に謝りながら、紅茶を一杯頂くことにする。
温かい飲み物というのは、心を癒してくれる。
「零に感謝だな。」
紅茶を啜りながら、もう一度部屋を見渡す。
この部屋の隅のドア、そしてそのオブジェクトに視線が向く。
MIRAI’s ROOM
アイツの部屋だ…
改めて想い出す。
零はアイツの姉であった事。
アイツはアタシと母さんを地獄に突き落とした事。
そして、アタシはアイツを姉の前で殺した事。
しばらく物思いに更けていると、零が部屋に入ってくる。
「どうですか、その紅茶。お口に合いましたか?」
「ああ、ほんとうに…すまない…」
「さっきからずっと、それしか言いませんね。」
明らかに不機嫌な顔をする零。
「ほんとうに…」
「千さん…」
零があたしの言葉を遮る。
「私、前にも言いましたが、引き籠りなんですよ?」
「今日たまたま外に出ていたのは、みら…いえ、妹が買ってくれていた食材が切れたので必死の覚悟で買い物に出たんですよ?」
たしかに引き籠りだとは聴いてたが、そこまで重症とは思ってもいなかった。
「そうしたら、千さんが路地裏に駆け込むのを見てしまって今に至るわけですが、コレってとても凄い確率じゃないですか?」
そこまで強く言われると、逆に零が心配になってくる。
「そう…かもしれないな?」
「もう現実世界で会えないかもしれませんよ?」
そこまで言うか、零よ…
「そんな奇跡の再会なんです!」
「だから、アノ時…双子の悪魔の選択肢。」
「蜘蛛の糸を掴んだ理由を教えてください。」
あたしはソレを言うべきか悩んだ。
確かに、アノ時…
あたしと零が戦っていたなら…
そして、あたしがワザと負けているのが最善だったのかもしれない。
でも、それは…
もし、この再会が奇跡だったとしたら…
「あたしは怖かったんだ…」
私は告げる事を決意した。
「アタシは小衣さんをこの手で殺している。」
零を見ながら話すことは出来ない。
だから、あたしは両手で包んだまだ温かいティーカップの液面に移り込むあたしを見ながら呟いた。
「アノ時、アタシは小衣さんに嬲り殺しにされた母さんの仇を討つつもりで小衣さんと戦った。」
「小衣さんも、牢獄から脱出するためにアタシと戦ったんだと想っていた。」
独白するとはこういう状況のことかもしれない。
「でも、悪魔から真相を聴いてから…あの戦いの事で想うことがあった。」
「アノ時、復讐心に心を浸食されていた時には気づかなかったが…」
「小衣さん、所々でワザと手を抜いていたようだった…」
そう、アノ時…悪魔の謀を聴かされた時…その事に気づいてしまった。
「いつものような、キレのある拳撃ではなかった…」
「でもアノ時、アタシはその事に気づいてか気づかなかったのか…もうわからないが、チャンスとばかりに反撃を続け、形勢を自分のモノにしていった。」
「結果、アタシは小衣さんに勝つことが出来た。」
「いま想うのは、小衣さんがそう仕組んでいたのかもしれない…」
「アタシを勝たす為…生かす為に…」
それが真実なのか、妄想なのか…
今となっては解りようがない…
でも、あたしの心は…
そうであったのだと確信している。
それは、私の頬を伝い零れ落ちる涙が証明している。
「千さん…」
「アタシは、そんな…かけがえのない仲間で、あんなに優しかった小衣さんを殺してしまった!」
もう涙は止まることはない…
「怖かったんだ!」
「もし、あたしの提案が採用されて、あたしが自害できれば、こんな理不尽から零を救うことが出来た!」
「でも、アノ悪魔はそれを認めなかった!」
「じゃあ、零と戦って…あたしも小衣さんみたいにワザと負ければいいと思った!」
「でも、もし…それが…」
「零にバレたら…」
「零は必ず、あたしの様に後悔と自責と、この重苦しい罪悪感を背負ったまま生きることになるのではないか…」
あたしの身体は震えていた…
アノ時、双子の悪魔の謀を知って、アノ罪悪感に押しつぶされたあたしの様に…
気づくと、あたしの背中は何かの温もりを感じていた。
零があたしの後ろにいる。
あたしの震える身体を、零が包み込んでくれていた…
「千さん…」
「千さんは優しい人です。」
「私の事を想って、考えてくれて、自分が死ぬ事だって躊躇しなくて、私を救おうとしてくれて…」
「零…」
あたしは振り向くことが出来なかった。
ただ、目の前のティーカップに視線を注ぐ。
零のぬくもりが、ただただ心地良かった。
「私も、千さんと同じです。」
零の身体が震えているのを肌で感じた。
「私も…あんなに優しかった777をこの手で殺してしまいました…」
「確かに、アノ時の777は…777の記憶を失っていたかもしれません。」
「でも、記憶を失っていたとしても…」
「私が知っている優しい777は、間違いなくアノ子だったんです。」
アタシの背中に冷たい水滴がいくつも触れた。
「千さんと同じです。私も、大切な仲間で…大切な友達の777を殺しました…」
「零…」
零の気持ちが痛い程わかる…
「そして、千さん…」
「千さんは、私の大切な妹…みらいをその手にかけました…」
「!?」
あたしは戦慄した…
そうだ、幽鬼の姫はアタシと母さんを地獄に堕とした憎むべき敵。
でも、みらいは…零にとって大切な…
「私は、千さん…アナタが憎いです。」
あたしは黙り続けた…
どれ程の時間が過ぎたかわからない…
数刻? それとも一瞬? 時間間隔なんて麻痺している。
あたしは、零に対して何と応えれば良いのだろうか…
いくら考えても最良の回答など無いようにも思える。
「ほんとうに…すまない…」
ふと、あたしが口にしたのは感情もなにもない…上辺だけの謝罪だった。
それを聴いた零は…何も変わらない。
ただ、あたしを後ろから抱きしめ、震え、泣いている。
「みらいが千さんやアナムネシスに何をしたか、直接私が訊くはずでした。」
「でも、その機会を奪ったのは…千さんですよね?」
「ほんとうに…すまない…」
あたしは感情のないロボットか何かなのだろうか?
ただ、何と答えて良いかまるでわからないし、思考そのものが追い付いていない。
あたしはただ、震えながら泣きながら、同じ言葉を呟くことしかできなかった。
「千さん、もしもアノ時…蜘蛛の糸を掴むことを選んでいなければ…」
「私はおそらく、千さんをこの手で殺していたと思います。」
「!?」
もう、同じ言葉すら呟くことはできない…
そうだ…
あたしは零に憎まれたまま、その復讐として殺されるべきだったのだ。
それだけの事をアタシは…零はもちろん、777や小衣さんにしてきたのだ。
あたしの身体の震えは更に強くなり、頬を伝う涙の速さが加速する。
今の心境はどんなものだったのか、よくわからない。
でも、
「零…あたしを殺してくれるか?」
あたしは何を言ってるんだろう?
零はそれ以上、何も言わなくなった。
あたしもただ、その沈黙を受け入れた。
そして、今この時も背中に感じる零の温もりと、零の流す涙の冷たさを感じ続けていた。
この背中に伝わる相反する温度…
その心地よさ…
この感触を、あたしは絶対に忘れてはいけない。
最初に沈黙を破ったのは零だった。
「千さん、アレから正義という言葉を使ってますか?」
それはかつて、アタシが辺獄で戦うために掲げた言葉であり、父から受け継いだ信念だ。
「今更、あたしがその言葉を使って良い道理がない…」
「そうですか…」
零が少し考えこんでいるのを感じる。
今更、その言葉を聴くとは思ってもいなかった。
その言葉は、既にアタシの心から去っていった言葉だ。
いや、むしろ自ら捨てた去った言葉だった様に想う。
「じゃあ、こうしませんか?」
零は私の耳元に口を近づけ、こう囁く…
「これから千さんと私、2人の正義は…」
「共に生きる事。」
「共に支え合って、生き続ける事。」
「殺してしまった3人の為に、この理不尽に抗って生き続ける事。」
あたしは振り返った。
それからどの位の時間が過ぎたかわからない。
あたしと零は
お互いを包み込みながら
ただただ泣き続けた…
4章-1 エピソード零:千のマジカル☆クッキング
「もうこんな時間ですね。」
気づけば、窓の外はすっかり暗くなっていた。
「明日は土曜ですし、千さんの制服もまだ乾きそうにありません。」
それも事実だ。
でも、それよりも気がかりだったのは…
「今日は泊まっていってください。」
千さんの心が心配だ。
「いや、ソレは…流石に迷惑になる!」
困惑する千さん。
「私は構いませんし、ソレに…」
私は一向に構わない。
だって、この家は…
「この家にはもう…私だけですから」
何故か私は微笑んでいた。
「ほんとうに…すまない…」
またその言葉だ…
もう一度、私は直ぐにでも壊れそうな千さんを抱きしめる。
「千さん、大丈夫ですよ…」
「私も、千さんと同じですから…」
千さんは無言で私を受け入れる。
しばらくして…どこからか…
グウゥ〜ッ
空洞に響く様な音と共に、千さんのお腹からの振動が私に伝わる。
私はそっと千さんを見つめる。
千さんは恥ずかしそうに目線を反らしていた。
「零、その…お腹が空かないか?」
私は、千さんがこんなにも可愛い人であることを知った。
アノ出来事により、私の決死の覚悟の買い出しは残念ながら失敗に終わった。
「千さん、残念ですが直ぐに食べれそうなものがありません。」
「気に病むことはない。」
少し精神的に余裕を取り戻した千さん。
空腹というのは、生存本能を活性化させるのかもしれない。
「少し時間がかかりますが…蒸かしポテトか、ポテトフライなら用意できそうですが?」
「随分とポテト縛りの選択肢だな…」
千さんが笑った。
千さんの笑顔を見たのは何時ぶりだろう…
もう二度と、この素敵な笑顔を見ることは叶わないと思っていた。
私は、今日…
勇気を振り絞って外出できたことを誇りに思う…
「何か、お腹に入れることが出来れば何でもいい。」
千さん、本当にお腹が空いているんだ…
「冷蔵庫を開けるぞ。」
冷蔵庫を開け中身を物色した千さん、その後すぐにあきれた顔で私を見る。
「零、本当に食材がないんだが…」
「いえ、野菜室にはポテトがあります。」
「ポテトだけが食材ではないんだがな…」
少し困っている千さん。
ポテトこそが最高の食材である事を知らないの?
「仕方ない。じゃあ、このジャガイモと…コレだな」
千さんは何時でも何処でも使えるように貯蔵された神の万能食材:ポテトを数個掴む。
そして、塩とバターを手に取りキッチンへと向かう。
「それって、ポテトバターを作るつもりですか?」
「そうだ。…零、じゃがバターの事だよな?」
「料理という程のものではないのだが…」
「でも、ポテトバターを作るなら蒸し器を使って…結構な時間が…」
「本来ならそうだろうが、今回はそこまで手をかけるつもりはない。」
そう言って千さんは、ポテトを水洗いしたあと、手慣れた包丁さばきでポテトの芽を取り除き、切れ目を入れていく。
「あとはラップで巻いて…レンジでチンだ。」
私は千さんのお料理マジックに魅入った。
チーン♪
レンジから出てきたのは、アツくてホクホクに蒸しあがったポテト。
ブロック状に切り取ったバターをポテトの切れ目に乗せて、塩を少量振りかける。
「どうだ、零。食べてみてくれ!」
どこかの料理マンガですか?
私はその手慣れた手付きに惚れ惚れしながら、そのポテトをナイフで切り分け口に運ぶ…
「お、おいしい! 美味しいです、千さん!」
「いや、そんな大げさなものではないぞ、零。」
「私、そんな魔法の様な調理方法があるなんて知りませんでした…」
「魔法という程、摩訶不思議なことは何一つしていないのだが…」
「凄いです、千さんがこんなに料理上手なんて!」
「どこからツッコんでいいか、わからないな…」
「だって私、自慢じゃないですが…蒸かしポテトを作るだけでどれだけのポテトたちが犠牲になったか…」
千さんはもう何も返答してくれなかった…
私の部屋で二人、TVを見る。
特に何かを見たいわけでもない。
今日は二人にとってたくさんの事があった。
その事には触れず、取り留めのない会話をしながら夜が更けていった。
とりあえず、千さんに私のパジャマを貸すことにして…
ベッドをどうするか?という話になる。
「零は零の部屋で寝るとして、あたしは…」
千さんは部屋の隅にある【みらいの部屋】を見た。
でも、直ぐに目線を逸らして考え込んでしまう。
千さんを【みらいの部屋】に案内するのは、気が引けた。
「あの千さん、私のベッドを使ってください。私は妹の部屋で寝ますので…」
「あたしは床でも良いのだが?」
「千さんはシッカリ寝た方が…」
実際に千さんに触れてわかったことがある…
「直接触れてわかりましたが、千さんアレからかなり痩せませんでしたか?」
私は千さんの心も、身体も心配だ。
「正直言うと、毎日上手く寝れていない…」
俯きながら、千さんは語り出す。
「毎日…夢で…小衣さんに会うんだ。」
「そして、アノ時のアタシと小衣さんとの出来事が繰り返し再現される。」
「これからも熟睡することは難しそうだ…」
「そうだったんですか…」
少しでも、千さんを安心させてあげたい。
私は決心した。
「千さん、少し手伝ってもらっていいですか?」
「いや、さすがに…今日の零は少し変じゃないか?」
「私がそうしたいので、お構いなく。」
私は【みらいの部屋】から、みらいのベッドを押し出して私の部屋へと移動させた。
【みらいの部屋】に千さんを入れるのは、精神的に負担を強いることになる…
だから、私は部屋の入口までは渾身の力でベッドを押し出した。
帰宅部幽霊部員の私としては、表彰されても良いくらいに頑張ったと自分を褒めたい。
その後は二人で私のベッドの横まで運ぶ。
そうだ、今日の私の頑張りに誰か金メダルを授与してほしい。
「じゃあ、私はみらいのベッドで横になりますので、千さんはソチラのベッドを…」
「いや、持ち主のベッドを持ち主が隣にいるのに使うというのは…」
「私は気にしませんし、千さんはみら…妹のベッドを使いたいですか?」
「それは…返答に困るな。」
千さん、往生際が悪いです…
「いいですか、千さん。千さんは精神的に疲れています。」
私は千さんが心配だ…
「そんなことは気にせず、さっさと寝てください!」
千さんが私のベッドに横になったのを確認してから、部屋の電気を消した。
私は千さんの事が気になって、千さんの方を向きながら横になる。
千さんは私とは反対…私に背を向けて横になっている
千さん、ちゃんと眠れるだろうか?
よくよく考えると、初めて入った他人の部屋。
しかも、他人のベッドで安眠することは可能だろうか?
私はじっと千さんを見つめ、千さんが寝入るの確認する。
「あの…零、凄く視線を感じるんだが…」
「あ、すいません…」
「圧というか…今日の零は本当に変だな。」
背中越しに千さんがクスリと笑っている。
「少し元気になったようで良かったです。」
今日出会った頃の消耗しきった千さん。
そんな千さんが今この瞬間、笑いながら会話することが出来るようになっていた。
本当に良かったと思っている。
「ああ、これも零のおかげだ。」
いつもの千さんだ。
「その…感謝している。」
少し恥ずかしそうに私に感謝を述べる千さん…
「零、おやすみ…」
今日、私は決死の覚悟で外に出て良かったと、本当に感じている。
「おやすみなさい、千さん…」
4章-2 エピソード千:彼女達の日常
「ウチ、そんな融通利かへん所も結構好きやったんやけどな…」
寂しげに語る人がいた。
「…貫き通せ、ソクラテス。」
あたしは、その人の事を許せなかった。
「ほんまに、残念や。」
「こんな結末しかなかったなんて、信じたないけどな。」
復讐という、あたしの信じる正義に反する口上を垂れ、母さんを何度も何度も殴りつけ…
「あたしは、母さんの仇を取る!」
「小衣! コレはおまえが何よりも大切にしていた復讐だ!」
戦いの決着はついた…
アタシの憎むべき小衣は傷つき、倒れ込む。
息も絶え絶えに痛みに耐える小衣。
もう戦えるだけの余力はない。
このまま放っておいても、いずれ…
ならば、ココでアタシのこの剣でトドメを…
アタシがこの手で、母さんの仇にトドメを!
小衣を上から見下ろし、手に持つ2本の剣を眼下の小衣へと近づける…
その時だった…
誰かがアタシの手をそっと包み込む。
手の持ち主の温もりが伝わってくる。
この感じ…あたしはその感触を覚えている。
「…零か?」
視線を向ける。
アタシの横に居るのは、やはり零だ。
零は無言のまま、アタシの2本の剣をゆっくりと取り上げていく。
零は私を見つめ、無言のまま頷いた。
「アタシは…」
あたしは横たわる小衣さんにすがりついた。
「小衣さん、すまない!」
「あたしは騙された事にも気づかず、過ちを犯してしまった!」
零れた涙は小衣さんを濡らしていく。
「こんなバカなあたしを…どうか、許してほしい!」
許してほしい?
あたしはその言葉を使った。
そして、あたし自身を嫌悪した。
その言葉は、私にとって都合の良いモノでしかない…
「ちがう…そうじゃない…」
あたしは小衣さんに伝えなければならない。
「小衣さん、どうか…あたしを」
「断罪してほしい。」
小衣さんにすがりつき、泣き続けるあたし。
そんなあたしを見守り続ける零。
息も絶え絶えに苦しそうに横たわる小衣さん。
ただ、無言のまま…時が止まっていた様な気がする。
時が再び動き出すのは、小衣さんの行動がキッカケだった。
小衣さんの手が、私の頭を優しく触り、ゆっくりと撫でて…
「千ちゃん、おかえり。」
小衣さんは笑っていた。
夢から覚める。
今日も涙でぼやける視界。
うっすら見えるのは見慣れない天井。
そうか、ココは零の部屋だった。
私の両手を包み込んでくれる温かな手。
零の両手だ。
零はあたしの手を握りながら、ベッドの淵にもたれ掛かりながら寝息を立てている。
夢で見た、あの手は…
きっとそういう事なのだろう。
零を起こさないよう、静かに、ゆっくりと…
零の握った手からあたしの左手だけを外し…
その手でそっと、零の頭を撫でる。
「ありがとう、零…」
零が起き出す前に、私は身支度をして零の家を出た。
あたしが再び零の家を訪れた時、インターホン越しの零は怒っていた。
「千さん、どこに行ってたんですか!」
「いきなり居なくなるなんて、ビックリするじゃないですか!」
結構な剣幕で怒られた…
「いや、朝食を買ってきただけなんだが…」
「あ…」
とりあえず、玄関の鍵は開けてくれたようだ。
「さすがに昨日の夜はじゃがバターだけだったからな…」
「昨日、あたしのしでかした事のお詫びに、朝食を作ろうと思って…」
「そうだったんですか…でも、私ならポテトがあるので…」
「零、いいかげんに目を覚ませ!」
「そのポテトに万能な栄養素があると本気で信じているのか?」
「はい。究極の万能食材:それこそがポテトですから!」
「あたしは零が恐ろしいよ…」
もう説得するのは諦めた…
「じゃあ、せめて…あたしがたまにこの家にお邪魔して料理を披露する。それだけでも食べてもらえないか?」
「千さんも疑り深いですね。いいですか、ポテトは…」
「零、コレは私なりの零への感謝と昨日の痴態のお詫びなんだよ。」
「頼むから、私の料理を食べてくれ。零が心配なんだ…」
あたしは本当に、零の偏食を心配している。
「そういうことなら…わかりました。」
さて、これからは零の食事管理もしていかなければ…
数日が経過した。
アレ以来、毎日再現されるアタシだった頃の夢を見なくなった。
何故だかはわからない。
もし、その理由が何なのかを探るなら、あたしは零のおかげだと想っている。
幸いに、零の自宅は私の住居と学校の道中にあり、零の家に通う事は支障をきたさない。
あたしは学校からの帰りに夕飯の食材を買い、零の家で調理して食べるようになった。
「千さん、なんだか通い妻みたいですね…」
「通い妻? 何だ、あたしは零のお嫁さんか?」
零の冗談に二人吹き出しながら…二人で食卓を囲むのは悪くない。
あたしも、母さんがいなくなって1年、ずっとそうだったから…
自分一人だけの食事を用意するのも、一人だけの食卓も…
出来るなら、零にそんな寂しい食事をしてほしくない。
さらに数日後、アタシたちの関係はより身近になっていった。
零は本当に引き籠りだったらしい。
学校に通っている気配がまるでない…
むしろ、外出している様子すらない…
「零、学校は…行かなくてもいいのか?」
食べ終わった食事を片付けながら、あたしは零に尋ねた。
「…千さんの言いたいことが解ります。でも、さすがに…」
「これだけ学校に行ってないと、とても通学する自信がありません…」
「あたしが言うのもなんだが、学業は身につけておいた方が良いと思うぞ?」
「そうですよね…でも、ご存じの通り、私は引き籠りでして…」
「無理して通う…必要はないのかもしれないが…」
「今の時代だから、フリースクールや通信制、学力検定などを利用するのも良いかもしれないな。」
「そうですね…検討してみます…」
ああ…これは多分、零は及び腰になっている。
「なんなら、あたしに務まるかわからないが…あたしが家庭教師になろう。」
「千さん…良いんですか!?」
「学習塾の講師の様に指導できるか、甚だ疑問だが…」
「いえ、千さん! 千さんそういうの似合う方だと思いますよ?」
「そうだろうか? 成績自体は良い方だと自負はしているが…」
「千さん、それです。ソレっぽいです!」
あたしが生徒会に所属しているから、そんな印象を持たれるのだろうか?
「ついでにメガネとかも持参いただくと、さらにキャラに拍車がかかります!」
「…ん?」
「零、何かにその言葉を言わされていないか?」
『ナンのコトですか? ワタシはナニニモ、アヤツラテイマセン』
・・・
「…零、さっき何か言ったか?」
「いえ、何も言ってませんが?」
きっと何かの気のせいだったのだろう…
こうして、あたしはほぼ毎日を零の家に入り浸ることになった。
自身の学業、零への学業の指導、もちろん零の栄養管理とメイドのような一日を過ごす。
学校行事や生徒会で零の家に帰るのが遅くなった日は、零の家で泊まることもしばしばある。
自宅から着替えや日用品などのほとんどを零の部屋に預けることにした。
代わりに、零の所持品は隣のアイツの部屋や1階の両親の部屋へと移されていった。
「両親や妹の所持品も…そろそろ遺品だけ残して片付けていかないといけませんから…」
「零…」
今度は、あたしが零を背中から包み込んだ…
そんなある日、学校帰りに立ち寄ったスーパーで買い物中、一本の電話がかかってくる。
着信を確認すると、あたしの父:恵羽 誠士郎からの電話だった。
「父さん!」
久しぶりの父さんからの電話に気持ちが高ぶる。
「なんだ、千。今日はずいぶんと上機嫌そうだな。」
「それは…」
確かにそうだ。
つい最近、父さんからかかってきた電話は約1か月前。
あの頃、あたしは辺獄管理の代行者になったばかりで…
父の電話の際、戸増恐介について問おうか悩んでいた頃だった…
「まさか、恋人でも出来た…とか?」
「なっ!?」
「父さん、その質問は娘に対してするべきことではないと思うのだが?」
「ははは、その声の様子では遠からず近からず…か?」
「そういうわけでは…ただ、最近とても仲の良い友人が出来たんだ。」
「そうか、それは良かったじゃないか。」
「零と言うのだが…友達と言うか、親友…いや戦友とでも言うか…」
「戦友とは穏やかな表現ではないな。」
「あ、いや…別に何か危ない事をしている友達では…」
「はは、心配してはいないぞ、千。」
「千はそんな、何か過ちを犯すような娘じゃないからな。」
あたしの心を何かが突き刺した…
「大丈夫だ、千。」
「千は私と、母さんの娘だ…」
心が痛い…
「母さんと私は、残念ながらうまくお互いを理解し合うことが出来なかったが…」
「千ならきっと、自身の信念を貫き通し、より良く生きる事ができると父さんと母さんは信じている。」
助けてくれ、零…
「千が戦友と言う程の子だ。きっと優しい心を持った素敵な子なんだろう。」
「その零さんだったか? また近いうちにそちらに行く用事があれば、私もその子に会ってみたいくらいだよ。」
「そうだな…父さんがコチラに来た時に…紹介したいと思っている。」
「そうか、それは楽しみにしているよ。」
早く、零に…会いたい…
「ところで、父さん…用事があったんじゃないのか?」
早く、電話を切りたい…
「ああ、そうだった。実は私は別件の仕事で明日からしばらく遠方に向かうことになった。」
「そうなのか…」
「数か月はそちらに滞在する事になるが、そこがまた今の時代では珍しい電波の届きにくい場所でな。」
「しばらくこの携帯に連絡できなくなるから、その事を伝えたくてな。」
「そうなのか…それは大変だな。」
早く、零の家へ…
「そういうことだ。今日、千の声が聞けて良かったよ。」
「あたしも、父さんの声が聞けて良かった…」
早く…
「じゃあな、千。今度ソッチへ行ったら、一緒に母さんの墓参りをしよう。」
父さんの電話は切れた…
あたしはまだ会計も済んでいないスーパーの買い物かごを床に置き、急いでトイレへと駆け込んだ…
「新しいシレンを追加しておいたぞ。」
メフィスからの久しぶりの電話だ。
「準備ができたら向かうがよい。」
「待ってほしい!」
あたしはメフィスが電話を切りそうになる前に呼び止める。
「今度はなんじゃ?」
面倒くさそうに答えるメフィス。
「お願いしておいて申し訳ないのだが、零と同じシレンに同行する事は可能だろうか?」
「フフ、千よ。」
不敵に笑う悪魔…
「しばらく見んうちに、ずいぶん厚かましくなったのう。」
完全にイヤミだ…
「どんな心境の変化か知らんが…まあ、いいじゃろう。」
「次回からそうしてやるが、今回は一人で頑張るのじゃな。」
「千さんもシレンの連絡がありましたか?」
となりの部屋から零が問いかける。
「ああ、零もシレンの連絡か?」
「はい…そういえばアレからずっと辺獄では別々のシレンでしたよね?」
「ああ…そうだな。」
あたしは知らないフリをした。
あたしがメフィスに頼んでそうしていた事を知られるのは…やはりどうも恥ずかしい。
「次からは零、あたしと一緒のシレンになるそうだ。」
「そうなんですね…でしたら次回から心強いです、千さん。」
「あたしも零が一緒だと心強い。」
「だから零、今回のシレン…何としてもお互い生き延びよう!」
「はい!」
あたしは零の部屋の姿見から、零はアイツの部屋の姿見から辺獄へ…
あたしは左肩に刻まれた契約の紋章を右手で切り裂く…
シレンを無事に終え、あたしは零の部屋に戻ってきた。
隣の部屋から物音がしない。
零の事だ、きっと無事に帰ってくるだろう…
そうだと、信じたい…
いや、あたしは信じる。
そんな時、突如として零の部屋に違和感が生じる。
「なんだ、急に空間が歪んで!?」
歪みから現れたのは、それぞれが赤と緑を象徴するような出で立ちの2人の少女。
外見は確かに少女だが、少女という言葉を使うのも反吐が出てしまう程の存在。
あたし達をその悪意を以て弄んだ悪魔。
「ほう、たしかココは…」
「あれぇ…おかしいよね…」
「千ちゃんの所に来たはずなのに…ココってひょっとして…零ちゃんの部屋だよねぇ…」
「ねえ、どうしてかな…どうして千ちゃんは…ボクが大好きな、だぁい好きな零ちゃんの部屋にいるのかなぁ…」
「何故、現実の世界に現れる事ができるんだ? 双子の悪魔っ!」
あたしは身構える。
しかし、ここは現実の世界。
思装も守護者も存在しない世界。
あたしは悪魔に対してなんの力も持ち合わせない、ただの女子高生だ。
「そうじゃったな。零には一度、現実世界で会ってはおるが…千の前に現れたのは初めてじゃったな。」
「そんなことよりも…なんで、どうしてぇ…千ちゃんはココに居るのかなぁ…」
「答えてくれないと、ボクわからないよねぇ…ねえ、何とか言ってくれるかなぁ…」
あたしはただ、恐怖を隠す為に必死に身構える事しかできない…
そんな一触触発の状況に手助けをしてくれたのは、意外にもメフィスだった。
「まあ、先程の千のワガママを聞いた時点で、もしや…とは思っておったが、なるほどのう。」
「メフィスちゃんは解ったかもしれないけど…ボクちぃっともわからないし、わかりたくもないかなぁ…」
フェレスの苛立ち方は尋常でない。
「フェレスよ、苛立たしいのはわかるが、あまり感情を表に出すのははしたない事じゃぞ。」
「淑女は常に、ワシの様に冷静に穏やかに…じゃ。」
「でも、メフィスちゃん…千ちゃんが…ボクの零ちゃんに何かしてないか心配だよぉ…」
「フェレスよ、逆のパターンもあるかもしれんぞ?」
「逆のパターン…んん?…それってつまり…」
「茶番はそのくらいにして、要件を言え!」
付き合っていられない…
ただあたしは、恐怖に負けないようにそう叫んだ。
「そうじゃな、要件と言う程ではないが…ただ確認しに来ただけじゃ。」
ニヤリと笑うメフィス。
「用は済んだ。フェレスよ、退散するとしようかのう。」
「ぜぇんぜん…ボクの要件は済んでないんだけどぉ…」
「まあ、落ち着くのじゃ。」
「ワシがとっておきの紅茶を用意してやるから、お茶会でもしながらワシが教えてやろう。」
「千ちゃん…ボク許したわけじゃないからねぇ…覚えておいてよねぇ…」
「フフフ。」
メフィスは楽しそうな笑みのまま、フェレスを連れて消えていった。
「千さん、ただいま辺獄から戻りました。」
隣の部屋から零が入ってくる。
「どうしたんですか、千さん?」
あたしは未だ双子の悪魔のいた空間を見つめたまま、固まっていた。
「いや…別になんでもない…」
確証があるわけではない。
だが、何故だろう?
嫌な予感がしてならない。
「千さん? なんだか汗をかいてませんか?」
あたし達は何も変わらない…
あたし達の正義を貫き通すだけだ…
5章-1 エピソード千:プレリュード(前奏曲)
双子の悪魔と現実世界で遭遇してから数日が経過した。
アタシの第六感は嫌な予感を告げている。
しかし、実際に何か事が生じることは…今の所ない。
「零、朝食が出来たぞ!」
1階から階段越しに大声で零を呼ぶ。
零は内面・外面の見た目通りに朝が弱い。
アノ妹も、手間のかかる姉にさぞ苦労していたのだろう…とは同情する。
いや、アイツに同情する?
なんだか少し…変というか、心情の変化と言えばいいのか?
「千さん、おはようございます…」
眠そうに起きてくる零。
大声だけで起きてくれるようになったのは、零の進歩だ。
少し前まで、零が眠る隣の部屋のドアをどれ程ノックした事か…
毎朝手が腫れあがった我が身を思い出す。
朝食を食べながら、
「今日も良い天気ですよね…」
「そうだな、清々しい晴れやかな日ではあるかな。」
「千さん、今着ている部屋着を洗濯するので、制服に着替えたら洗濯機に入れておいてくださいね。」
「ああ、よろしく頼む。」
炊事を零に任すのは流石に時期尚早過ぎるので、家事分担として零が洗濯・掃除を担当。
あたしは炊事と買い出し、零の家庭教師担当を担っている。
まさか、零とのこんな共同生活をするとは思ってもいなかった。
血のつながった家族でもなく、血の遠い親族でもなく、友人?との共同生活。
制服に着替え、幡田邸の玄関のドアを開ける。
「それじゃあ零、行ってきます。」
「千さん、いってらっしゃい。」
零が笑顔であたしを送り出す。
こうして、いつもと同じ平和な1日が始まる。
そんな日々がさらに続く。
メフィスからシレンの連絡はまだない。
平和だ。
平和を享受するというのは良い事だ。
アノ時感じた、嫌な予感は外れていたのかもしれない。
そう思いたい…
しかし、あのメフィスことだ…
このまま何事もなく日常が続くとは思えない。
とは言え、コレと言って何か対策をしようにも…何もできない。
もしもの事を考えて。
何気なく携帯を手に取る。
先日連絡のあった父さんに連絡でも…
「おかけになった電話番号は、電波の届かない場所か電源が…」
そう言えば、仕事の都合で遠方に出ているはず。
他に何か…
やはり何もない…
その夜、あたし達は夕食を済ませ、一緒にTVを見て時間を過ごす。
「そういえば、この前一緒に見たゾンビ映画の続編が今日TVで放送されるそうです。」
「ああ、アレか…まさか零がゾンビモノが好きだったとは意外だ。」
特に…
「ゾンビを銃で乱射するシーンで嬉々としていてビックリしたよ。」
予想外の趣味で笑ってしまった。
「千さんだって、あんなマニアックな趣味をしてたなんて…」
「それはお互い様だぞ、零。」
純粋に笑いあえる友達? 親友? 戦友?
アレ以来、お互いの絆は深まったのだと強く実感した。
「じゃあ、映画が始まる前にお風呂浴びてきますので。」
「ああ、あたしは映画観賞用に飲み物とポップコーン、ポテトフライの準備でもしておこう。」
「いいですね!」
ドアを開け、風呂に向かう零。
部屋を出る前に振り返る。
「あ、ポテトフライは濃厚ポテトフレーバーでお願いします。」
「ああ、わかったよ。」
「さて、アタシも台所で準備を…」
その時だった。
いつぞやの様に空間に歪みが生じ…
「やれやれ、仲睦まじくて結構な事じゃ。」
ティーカップを持った紅い悪魔が現れた。
「今日はフェレスはどうした?」
あたしは距離を取りつつ身構える。
「フェレスがおると話がこじれそうなので連れてきておらん。」
優雅に椅子に腰かけながらティーカップの紅茶を啜る。
「そう警戒せんでも良いぞ。」
「永らく待たせてしまってすまんな、千よ。」
「別に待っていたわけでもないのだがな。」
「フフ。まあ、そう言うでない。」
不敵な笑みを浮かべるメフィス。
「新しいシレンを追加しておいたぞ。」
いつものシレン執行の合図だ。
「ちなみに、今回のシレンは特殊でな。」
「夜も更けておる。二人の準備もあるじゃろうし、明後日までを期限とした猶予をやろう。」
期限付きのシレン。
「せっかく二人近くにおるのじゃ、せっかくの猶予を有効に使うと良い。」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味じゃが?」
「ああ、そうじゃ。零もこのシレンを受けてもらう。」
「千よ、おぬしから零に伝えるのじゃぞ?」
今回は色々と違う、そう直感させてくる。
「まあ、くれぐれも油断せぬことじゃ。」
そう言って、メフィスはずっと笑みを絶やさないまま用件だけ伝えて消えた。
「千さん、お風呂あがりました。」
「ああ…」
怪訝な顔をしてあたしを見る零をやり過ごし、あたしはお風呂に入った。
温かい湯舟に浸かるも、リラックスできるような状況にない。
朝となる。
昨日は零とゾンビ映画の続きを見ていたような気がする。
ポップコーンを用意して、ポテトフライを海苔塩フレーバーで用意したら零に嫌味を言われたくらいしか記憶にない。
気づいたら朝になっていた。
朝食の準備をしなければ…
「千さんにしては珍しいですね。」
「え、何が…だ?」
「いえ、トーストもそうですが…スクランブルエッグも少々焦げてますし…」
「ああ…すまない。」
昨日の出来事がキッカケだとは思う。
完全に調子がおかしい。
「あたしにだって、こういう日も…たまにあるさ。」
「そうだったらいいのですが…」
心配そうに見つめる零。
いつも通り、制服に着替えて玄関へ向かう。
零が玄関の前で待ち構えていた。
「千さん、出かける前にいいですか?」
「なんだ、零?」
零が近づき、あたしの額に手を当てる。
「熱がある…というわけではなさそうですが…」
「別に、体調が悪いわけではないと思うが…」
「そうですか、少し失礼しますね。」
零がさらに接近し、あたしの額に零の額を近づけ…
「ちょっと待て、零!」
あたしは後ろへ飛び退く。
「あ、すいません。妹と熱を測る時、いつもこうしてたので、つい…」
そういうところが、アノ妹をおかしくしたんじゃないのか?
「子供じゃないのだから、熱があるかどうかは自分でわかる!」
「そうですか、すいません…」
「でも、さっきまでの心ココに在らず…な、千さんではなくなりましたね。」
「あ…」
そういうことか。
「でも、アレはやり過ぎだと思うぞ!」
「すいません…以後、気を付けます。」
本当に心臓に悪い…
「で、千さん。昨日の夜、何かあったんじゃないですか?」
色々見透かされていて怖い。
確かに、このまま言い出せずに時間だけ過ぎるのは二人にとって良くない。
いずれにせよ、零もこのシレンを受けなければならないのだから。
何故もっと早く零に言い出せなかったのか?
あたしは、アタシの時と未だ変わらない。
「零、実は大事な話がある。」
「大体そんな事だろう…とは、思っていました。」
零が不機嫌だ。
「言い出せずに、すまない。」
ただ謝るしかない。
「千さんの話からすると、今回のシレンはかなり特殊なものになるかもしれませんね。」
「おそらく…だがな。」
零は考える。
「メフィスの言う、猶予という言葉ですが…」
「何か、明日までにやっておかなければいけない事はありますか?」
「そう言われてもな…」
「あたしはいつも通り学校に通って、零の食事を作るくらいしかない。」
「今のうちに連絡しておかないといけないところがあるとか?」
「いや、先日父さんに電話をかけたが…しばらく仕事の都合で連絡の取れない場所にいるようだ…」
「そうですか…」
「零はどうなんだ?」
「私ですか?」
零がアノ冷たい笑顔をアタシに向ける。
察しろという事だ。
「わかった…すまない。」
「いえ、私に問題があるのですが…」
その冷たい笑顔をやめてほしい。
「そうですね、せっかくの猶予があるのなら…」
「千さん、今日は学校をお休みして、どこかデートに行きませんか?」
「デ、デート!?」
「あ、すいません。今のは冗談なので…」
零よ、本当に心臓に悪いからやめてくれ…
「前に話してましたよね、千さんオススメのラーメン屋さんに連れていってください。」
かくして、今日はあたしの人生初めてのズル休み。
零にとっては久しぶりの外出になった。
零を連れて行ったのは、女性に人気のあるラーメン屋。
このラーメン屋はあっさりスープで女性でも気兼ねなく食べることが出来るのがウリ。
そして、なんと法令が存在しない。
つまり、小食かつ、ポテト偏食家の零の口に合わなくても残すことが出来る珍しい店だ。
「千さん、この店は頻繁に利用されてますか?」
「いや、あたしは精神鍛錬のできるラーメン屋で主に鍛錬をしている。」
「このラーメン屋はクラスの友達に教えてもらった女性に人気のラーメン屋だ。」
「そうなんですね、お友達から…」
零の表情があの笑顔に変わっていく…
「…味はおそらく良いだろうし、早速入ってみよう。」
とりあえず、中に入っておいしいラーメンでも食べれば、零の感情も治まるだろう。
「私、このお店気に入りました!」
食事を終え、店を出てから直ぐに、嬉々として感想を述べだす零。
「ラーメンなのに、まさか究極食材:ポテトがまるっと入ってました!」
「そうか、ポテト基準で喜ぶのは零らしいな。」
「いえ、ポテトが…というわけではないのですが、メインの食材であるポテトの良さを更に引き立てる為にスープと麺、その他の具材を吟味して…いかにポテトを中心とした…」
「零、嬉しいのはわかるが聴衆の目もあるから、それは帰ってから…」
正直言うと、家に帰ってからも御免被りたいのだが…
それからあたし達は、近くの大型デパートに寄って服を見たり、ゲームセンターに寄ってプライズゲームをしたり…
ごく普通の女子高生として、外出を楽しんだ。
「夕飯だが何がいい? せっかくだ、零の食べたいものを作るつもりだが?」
「本当ですか!?」
たまに零が子供に見える時がある…
「では是非、千さんの作ったポテトグラタンが食べたいです!」
「まさかのまたポテトか? ある意味、いつも通りな気もしないでもないが…」
「あ、ポテトマシマシでお願いしますね。」
「本当に、あたしは零が怖いよ。」
こうして、幡田邸に帰る前にスーパーに立ち寄り、必要な食材(主にポテト)を買って帰った。
思いの外、あたしの作ったポテトグラタンは零に好評だった。
あんなにおいしそうに(主にポテトを)食べてもらえると、作った甲斐があったと感じる。
あたしは食べ終わった食器を片付け、零はお風呂を沸かす準備をする。
お風呂は沸かした者が先に入るのがルール。
ルールを逸脱する事は罷り通らない。
零→あたしの順でお風呂に入り、いつもの様に零の部屋で一緒にTVを見ながら過ごした。
夜も更け、どちらから切り出したわけでもないが、そろそろ寝る時間だとお互いが気づき睡眠の準備をしだす。
「じゃあ、千さん。今日は楽しかったです。」
「ああ、あたしも零と一緒で楽しかったよ。」
零は隣の部屋のドアを開ける。
「じゃあ、おやすみなさい…」
「ああ…」
ゆっくりドアは閉じられていき…
「あの…零!」
あたしは閉じ切るドアに向かって走る。
「千さん、どうしました?」
立ち止まる零の手を掴む。
「実は、お願いがあるのだが…」
部屋の電気を消し、あたしは零のベッドに横になり天井を見つめる。
その横には、いつぞやの時の様に、隣の部屋から一緒に運んだ妹のベッドが置かれ、零もあたしと同じく天井を見つめている。
「今日は安眠出来そうにない。」
「また、あの悪夢を見てしまうかもしれない。」
「だから、零。」
「恥ずかしいのだが、いつかのアノ時みたいに…」
「一緒に居てほしい…」
正直、あたしはどうかしている。
でも、明日の事を考えると過ぎ去った楽しい時間と反比例して、刻々と近づく明日に怯える心が強くなる。
アノ悪夢をみるかもしれない。
その可能性は否定できないが、おそらくそれをもう見る事はないと思う。
確信はないがアレ以来、アノ夢を見ていないのは、あたしがアノ時の小衣さんの笑顔を忘れていないからだと想う。
なぜ嘘をついたのかわからない。
でも、コレだけは言える。
零がいる。
それだけであたしが安心できる。
「千さん、なんだか子供みたいですね。」
零は笑っていた。
「いいですよ。ベッドを運ぶのを手伝ってください。」
あたしは隣の部屋、零の妹の部屋、『みらいの部屋』に入り、二人でベッドを運んだ。
「千さん、ふと思うのですが…」
「なんだ、零?」
「もし、アノ時…あたしが決死の覚悟で外出した時、千さんにもし出会わなければどうなってたんでしょう?」
「…そうだな、少なくとも今のような共同生活は無かったのではないか?」
「そうですよね、そんな世界線もあったのかもしれませんね。」
「そうだな。」
「あたしもふと思うが、アノ時…」
「この部屋で二人で眠った時の様に、零があたしの手を握っていてくれなかったら、どうなっていただろう?」
「アノ時ですか?」
零は少し考えこむ。
「そうですね、もしそうなら…千さんは悪夢を見てうなされていなかった世界線ですね。」
「やはりアノ時、あたしは悪夢にうなされていたんだな。」
「はい、とても苦しそうでした。」
アノ時、なぜ零は私の両手を握っていてくれたんだろう? その時の答えだ。
「だから、私は千さんが心配で…少しでも安心できるように、その手を握りました。」
想像通りの答えだった。
「なあ、零。恥ずかしくて泣きそうなんだが…」
「アノ時の様に、あたしの手を握ってくれないか?」
恥ずかしすぎて零の顔が見れない。
零の返答はない。
コレはあたしは終わったかもしれない…
少しの沈黙の後に、零がベッドから起きる気配がする。
何かがこすれる音が…
何か床を引きずるような音?
その後、あたしの横たわるベッドに軽い衝突の振動が伝わる。
再び零がベッドに入る音がする。
ゆっくりと、あたしの潜る布団の中に何かが入ってきて…
その何かがあたしの右手を掴み、ゆっくりと布団から引っ張りだす…
「千さん…」
さっきよりも零の声が近い…
あたしは顔を零の方へとゆっくりと向ける。
「これで、いいですか?」
ベッドは隙間なくピッタリ寄せられ、零の顔がもっと近くなっていた。
「零、恥ずかしくて死にそうなんだ。」
「死にそうなら、お願いしないでください。」
少し間を開けて、零は小声で囁く。
「わたしもとても恥ずかしいです。」
ああ…あたしも零もどうかしている…
これはきっと、明日の恐怖から来るものだ…
そう、あたしは信じている。
お互いの手を握りながら、あたし達は天井を見続ける。
恥ずかしさを通り越せば、そこは静かな夜の世界。
お互い無言のまま、この静寂と流れゆく時間、そしてお互いの手に温もりを共有している。
「千さん。」
零が静寂の夜に言葉を投げかける。
「明日のシレン、一緒に生き延びましょう。」
零の決意を感じる。
零は恐怖を克服しているようだ。
あたしも、その手を通じて伝わる温もりと心に沸き立つ勇気を共有している。
「ああ、零。あたしたちの正義は変わらない。」
「共に生きる事。」
「共に支え合って、生き続ける事。」
「殺してしまった3人の為に、この理不尽に抗って生き続ける事。」
5章-2 エピソード千:極上の喜劇のその先へ(開幕)
「零、そろそろ行けるか?」
シレンの時が来た。
あたしは零の妹:みらいの部屋のドアを開け、姿見に立つ零を見る。
「千さん、いつでも大丈夫です。」
零はあたしに微笑む。
「じゃあ、行こう。あたし達の正義を貫き通す!」
「ええ、このシレンを一緒に生き残りましょう!」
あたしは零の部屋に戻り、姿見の前に立つ。
今度は零が一緒だ。
これ程心強いことはない。
このシレンに必ず2人で打ち勝つ!
あたしは左肩の代行者の紋章を右手で切り裂いた。
久しぶりの辺獄。
死者の魂がココを通り、49日の旅路の果てに最下層の再生の歯車に到達する。
いつもであれば、シレンは死者の旅路を妨ぐかのように迷路状に広がっている。
メフィスが今回のシレンは特殊と言っていた理由が分かった。
この形状は…
いくつもの堅牢な牢が円を描くように並べられた空間。
「まさか、ココは…」
アノ時と同じ、条件を満たさなければ逃げられない閉ざされた空間。
「牢獄か!?」
アタシが小衣さんを殺した、あの場所が再現されていた。
アタシだった頃の記憶が蘇る…
でも…
あたしは、アノ夢で見た小衣さんの笑顔を覚えている。
大丈夫、あたしはまだ戦える!
でも、アノ悪魔がこの状況を用意したのなら…
もしそうなら、
今回決闘する相手は…
あたしは辺りを見渡し、大声で叫ぶ。
「零、どこだっ!?」
「ああ、そう大声で叫ぶでない!」
不思議なことに、どこを見渡してもメフィスは見当たらない。
このメフィスの声は…空間から伝わっている?
「メフィス!?」
「千よ、今調整しておるからもう少し声を落としてくれんかのう。」
「調整?」
「そうじゃ。ワシは今、この舞台の音響を調整しておる。」
何を言っているんだ?
「零はどこだ!?」
「ああもう、五月蠅い! 零じゃろ? わかったから少しは黙れ!」
突然、辺獄内の空間に振動が伝わった。
「なんだ!?」
「千さん!?」
どこからか零の声が聞こえる。
「零か!?」
再び辺りを見渡す。
零の姿が見えない。
だが、何故零の声が聞こえる?
「千さん、無事ですか?」
「ああ、問題ない。零の方は?」
「私も今のところは無事です。でも、千さんの声が聞こえますが、姿が見えません。どこに居るんですか?」
「何処と言われても…ただ一つ言えるとするなら、アノ牢獄の中だ。」
「千さんもですか!?」
どうも零も同じ状況らしい。
「どういうことだ?」
「ああ…ああ…うふふ…マイクテスだよぉ…」
「フェレスか!?」
やはり姿が見えないが、フェレスの声も空間から直接響いて聴こえてくる。
「お久しぶり…ボクの大好きな零ちゃん。」
「あと、零ちゃんにちょっかいかけた千ちゃん…だったかなぁ?」
明らかにあたしと零とで声のトーンが違う。
フェレスはまだ、なにか勘違いしたままのようだ。
「音響はこんなもんじゃろう。」
「おぬし達、ワシらの声はしっかり聴こえておるかのう?」
さっき程よりもメフィスの声も聴こえやすくなっている。
「フフ、ちゃんと聴こえておるようじゃな。」
メフィスが空間越しでも不敵に笑っているのが感じ取れる。
「さて、このシレンについての説明じゃ。」
「フェレスよ、アレの準備じゃ!」
「メフィスちゃん…了解だよ…」
アタシの目の前で突如としてカーテンのようなモノが下りてきてアタシの視線を遮る。
このカーテンは…劇場や舞台を閉じる幕だ。
「うふふ、メフィスちゃん、幕を降ろしたよ…」
「ふむ、ではフェレスよ。舞台の準備をよろしくな。」
「うふふ…まかせてよ。なんだかぁ…ボク、楽しくなってきたなぁ…」
この悪魔たちはお遊戯ゴッコでもするつもりなのか?
「さて、一応補足しておこうかのう。」
「今、千も零も幕で視線を遮られておる状態じゃ。」
「コレらはワシらによる舞台装置と思ってもらってもよい。」
「基本的に、二人とも同じ状況を体験していると理解しておいてもらおう。」
「さて、では今おぬしらがどういう状況に置かれておるかというと…」
新たな劇幕が降ろされ、そこには地図のようなものが貼ってある。
「コレは舞台の配置図じゃ。」

「零も千も、距離は多少離れておるが、この通路で繋がった牢獄…いや舞台の左右で別れておる。」
「千がワシにお願いしておった、零と一緒のシレン…まあ、そういうことじゃ。」
「千さん?」
「零、すまない。その件は後で詳しく話す。」
「フフ。千よ、言っておらんだのか? 秘密主義は前回で懲りたものと思っておったがな…」
「うるさい! 説明を続けてくれ。」
「こやつの性格を考えると、一緒に暮らす零も大変じゃな。」
あたしは黙ることにした。
何かを言い返しても、メフィスに良いように返されそうだ…
「では、解説を続ける。この通路を通ってもう一方の舞台へ向かう事は可能。」
「じゃが、この通路はどちらか一方が条件を満たさない限り通行することが出来ん。」
「ココは舞台であり牢獄。その通路もその牢で閉ざされておる。」
「先ほど言った通り、どちらかの条件を満たした場合、その通路の牢は開く仕様じゃ。」
「その通路を通るための条件とは何ですか?」
「まず先に言っておくが、この牢獄を見た瞬間、おぬしらは…」
『また、仲間同士で殺し合うの!? そんなのは嫌っ!』
たまにメフィスが演技かかった無垢な少女の声を出すが…あたしはこんな戯言は嫌いだ。
「と、思ったじゃろうが…何度も言うが、ワシは鬼ではない。」
「うふふ…悪魔だけどね…」
このやり取りも、アノ時に聴いた。いい加減にしてほしい…
「それに同じ手法を用いては、この極上の喜劇が陳腐なモノになってしまうからのう。」
喜劇だろうが悲劇だろうが、コイツ等の舞台に立たされるのは、もう金輪際御免被りたい…
「そこで、今回の対戦者じゃが…おぬし等はワシらの代行者。」
「今回は幽鬼と幽者を狩る舞台。」
いつもの事だ、それなら問題ない。
もし、零を殺せとでも言おうものなら…あたしはもう…
「では、その対戦相手の組み合わせじゃが…」
「千よ、手数の多い思装をしておるおぬしには…幽者達を全て狩り切る。コレが条件じゃ。」
「わかった。幽者を殲滅すれば、零の所へ行けるのだな?」
「ああ、その認識で構わんぞ。」
「あの…私は?」
「零は幽鬼を討伐するのが条件じゃ。」
「いつも通り…ですね。」
「じゃが、ただの幽鬼では舞台演出としては大変つまらん。」
「そんなわけで、特別な幽鬼を狩ってもらうことにした。」
「特別な幽鬼?」
「そう、特別じゃ。ソヤツは今までの幽鬼とはわけが違い、しかもよく小難しい事を喋る。」
「はぁ…」
「ああそうじゃ、一応補足じゃが…」
「この空間はワシが調整した音響設定により、空間を振動させて発せられる声をこの舞台全体に伝播させる。」
「じゃから、距離を取っておるワシらも、千や零、幽鬼の声も皆に聞こえる設計じゃ。」
「二人で励まし合いながら戦うことが出来る。」
「今まで築いた絆を存分に発揮して戦うことじゃな。」
「あと、当然の事じゃが、2つの条件を達成して初めてこのシレンは達成となる。」
「討ち漏らしの無いようにのう。」
「では、何かわからぬことはあるか?」
「私は特に…何も。」
「確認だが、要はどちらか一方が条件を達成し、解放された通路を通って、もう一方の舞台に救援に向かう…」
「そしてもう一方の条件を達成したら、晴れてこの牢獄から脱出できる。これで合ってるな?」
「その通りじゃ、おぬし達なら簡単じゃろ?」
メフィスが何故こんな手の込んだことをしているのか見当もつかないが、やることはいつものシレンと変わらない。
「では、今から極上の喜劇の開幕となる。」
「この幕が上がれば、おぬし達の前に対戦者が現れるじゃろう。」
「フェレスよ、準備は良いか?」
「うふふ…いつでも大丈夫だよぉ…」
「さあ、二人とも…ワシらを」
「僕らを…」
「楽しませて!」
アタシの眼前に降りていた幕が開ける。
そこには…
「なっ!?」
あたしの舞台の先に蠢くのは…
今まであたし達が狩ってきたであろう幽者の数よりも多くの幽者がひしめき合っていた…
「零、そっちはどうだ!?」
自身の心配よりも、零の状況が気になった。
「千さん、コッチは幽鬼が一人だけです! 千さんの方は?」
「どう表現していいのかわからない。」
正直な感想だ。
「百なんて数の内に入らない…そうだな、言うならば千だ…」
「あの悪魔、名前に掛けた冗談を仕掛けてくるんですね…」
「まったくだ。笑うどころか、あきれるよ。」
「ちなみに、見た感じでその幽鬼はどんな相手だ?」
「そうですね…今までの幽鬼よりも数倍大きいというか…巨大です。」
「零の方も大変そうだな…行けるか?」
「わかりません、あ…」
「どうした、零!」
「いえ、ヘラクレイトスが突然…」
「ああ、零の独り言みたいなあの状況か。」
「その説は、大変温かくて優しい対応をいただきありがとうございます。」
「それだけ言えたらまだ余裕そうだな…」
「あの、ヘラクレイトスが言うには…通常の幽鬼と違って、何か得体のしれない力を持っているとのことです。」
「相変わらず具体的に説明してくれないのだな…」
「ええ、私に似て口下手でして…」
「その調子なら大丈夫そうだな。とりあえず相手の観察から開始だな。」
「そうですね、とりあえず近づいて様子を伺います。」
「零、くれぐれも気をつけるんだぞ!」
「千さんも、気をつけて!」
こうして、あたし達は戦闘に入った!
あたしの相手は、いつかどこかで相手したような幽者そのものだった。
数は多いが、間合いを取りながら1匹ずつ仕留めて減らしていけばいつかは勝機がやってくる…はずだ。
だが、敵の数が多すぎる。
囲まれて雪崩込まれたら一貫の終わりだ。
まず、手短に迫ってきた幽者を右手の剣で突き刺す。
感触としてはあまりに脆い。
突き刺された幽者は直ぐに消滅していく。
間髪入れず、もう1匹を左手の剣で切り裂く。
コレも脆い!
消滅する間際の陰に隠れてもう1匹が襲い掛かる。
この調子なら…
身体を捻り、右手の剣で一閃!
ところが、今までの幽者の弱さに油断していた。
剣は幽者を裁断することなく、その肉壁によりや刃を留め、斬り裂ききれなかったアタシの動きを止める。
マズイ!
今度は左手の剣で切り裂いた断面を繋げ合わす様に切り裂く。
胴体を割かれた幽者は息絶えて消滅していく。
「コレは…」
「ああ…千ちゃん…だっけ?…気づいたかなぁ…」
「この幽者はねぇ…ボクが色んな階層の幽者をココに集めたんだよ…」
「緩急…っていうのかなぁ? 強い幽者も弱い幽者もいるから面倒だよねぇ…」
「弱い力で倒せるからって、力を抜きすぎると...強い幽者は倒せないし…」
「強い力で倒し続けると、すぐに息があがってシンドイよねぇ…」
「あと残り何匹? 何十匹? 何百匹? ボクもうわかんないよぉ…」
「千ちゃん…頑張って…がんばってよねぇ!」
「早くそんなの倒しきって、ボクの大好きな零ちゃんを助けてよ…ねぇ?…あはははははっ!」
「くそっ!」
あたしは一旦幽者達から距離をとり、体制を整える。
この状況で後退するのはできれば避けたい。
下がれば下がるほど、幽者の数に押しつぶされて逃げ場を失う…
「零、ソッチはどうだ!」
「千さん、大丈夫ですか!?」
「あたしは大丈夫だ、なんとかする。それよりも零は!?」
「今、幽鬼に接近して相手の出方を観察しています。」
「そうか。あたしが行くまで、無理はするな!」
「わかりました、千さん!」
「千…?」
「え?」
何だ、今の声は?
「さっきの声はなんだ、零?」
「あの…幽鬼が喋ったみたいです。」
喋る特別な幽鬼?
「千…今、何かを壊したのか?」
男の声だ…
「他人の所有物、または所有動物を損壊した場合…」
年齢で言うと、40代~50代くらい?
「刑法261条により器物損害罪が成立し…」
なんだ、何を言ってるんだ?
「3年以下の拘禁、もしくは30万以下の罰金に処される…」
これは刑法だ…
「千、罪を犯してしまったな…」
この声、電話越しで最近聴いた…
「お前が罪を犯して、父さんは悲しいよ…」
まさか、そんな…
「父さんかっ!?」
「えっ、千さん!?」
「あはははははっ!!!!」
メフィスとフェレスの笑い声が聞こえる。
「こんなに早く気づくとは…千は余程、父の事が好きなようじゃな!」
「どういうことだ、メフィス!」
「どうもこうも…千ちゃん…だっけぇ? 今、自分で解答してるよねぇ…」
「そうだよぉ…正解だよぉ…正解者に拍手しなきゃ…パチパチ」
「どうして父さんが辺獄にいる! しかも幽鬼だと!?」
「まあ、状況が状況じゃ。手短に答えるが…」
「さっき言った通り、特別な幽鬼を用意したと言ったじゃろ?」
「おぬしの言った通り、こやつの生前の名は恵羽 誠士郎じゃ。」
「あの、それって本当なんですか?」
「実の娘が気づいておるのじゃ。仮にワシがウソだと言ったとしても…その事実をなかった事にはできん。」
「母と娘だけが辺獄に堕とされておるのに、父だけ除け者にされるのはかわいそうだと思わんか?」
「だからぁ…慈愛に満ちたメフィスちゃんが…お父さんを辺獄へご招待してぇ…」
「娘との再会の前にそこらの幽鬼に殺されては酷じゃ。」
「だから、どんな幽鬼にも殺されないよう、特別に強化に強化を重ねておぬしらを待っておったのじゃ。」
「ふざけるな! お前たちはあたしから全てを奪うつもりかっ!!!」
「全てとは心外じゃな。」
「そんなこと言うと…零ちゃんが可哀そうだよねぇ…千ちゃん…だっけぇ?」
「零ちゃんはぁ…千ちゃんにとってぇ…全ての中に入らないのぉ?」
「そんなのぉ…零ちゃんが可哀そうだよねぇ…お友達? 親友? それとも…?」
「これ、フェレスよ。そんなに千をイジメてやるな。」
「今コヤツらは混乱しておる。アクターが混乱しすぎて舞台を台無しにしては元もこうもない。」
「暫くワシらは、この喜劇でアクターがどんなアドリブをこなすか、興奮しながら見守る観客じゃ。」
「観客というかぁ…劇場を見守る支配人だよねぇ…」
「まあ、そうじゃな。絶対的権威の椅子から舞台を楽しもうかのう。」
「あはははははははっ!!!」
あたしとあたしの家族を嘲り笑い、悪意の双子の声が消える。
残されたのは、あたしと零。
そして変わり果てた父と無数の幽者。
「零、あたしが行くまで何とか耐えれるか?」
「ええ、頑張ってみます。」
「その、何とお願いすればいいのかわからないが…」
「わかってます。千さんのお父さんには指一本触れませんから!」
「すまない、恩に着る。」
零にとっては耐久戦、あたしにとっては殲滅戦が始まる。
「貫き通せ、ソクラテス!」
「ヘラクレイトス、攻撃を防いで!」
攻勢に出続けないと、いずれあたしは退路を断たれる。
逆に攻勢に出られず、ただ避けて防ぐしかできない零。
一方、数は減らし続けてはいるが、その数は未だ掴めない幽者の群れ。
もう一方は強大かつ、強力な力でねじ伏せに来る底なしの体力を持つ幽鬼。
どちらもジリ貧状況に違いはない。
あたしはそんな状況でも父さんに対して、戦いながら会話を試みる。
「父さん、今戦っているのは電話で話していた零だ。攻撃をやめてくれ!」
「この子がそうか…ああ、この子が持っているものは…そう…剣。」
「アノ長さであれば届け出がない限り、銃刀法違反として犯罪となる…」
「父さん、そうかもしれないが…せめて拳を納めて取り調べをして…」
「いや、コレは現行犯だ! すぐに警察を…」
「警察なんて、この辺獄には存在しない!」
「ならば…私が私人逮捕でこの子を確保し、警察へ…」
「父さんっ!!!」
「千さん、私は大丈夫ですから。千さんの戦いに集中してください!」
「千、誰かとケンカしているのか? もしも相手にケガを負わせたら…」
無数の幽者と戦いながら、父さんに話しかけながら、零の安否に気を張りながら…
あたしは間違いなく、消耗していった。
どれだけの幽者を切り伏せただろうか?
どのくらいの刻を戦っていただろうか?
もう何も、あたしはわからなくなってきた。
息が上がり、呼吸だけに集中したい。
でも、幽者は各々の判断であたしを襲う。
1匹斬り伏せては、後続の幽者がランダムにあたしを襲う。
緩急というよりも不規則?
もうわからない、考えたくもない。
足元も覚束なくなり、今にも崩れ落ちそうだ。
全てを投げ出して休みたい。
このまま床に転がって…
腕を広げて寝そべって、広げたその手に、もしもアノ手の温もりを感じたら…
すぐにでも寝息を立てて眠れそうだ…
「千さんっ!!」
その声で意識を取り戻した。
犬型の幽者が背後に回っている。
今まさに、その凶悪な牙で噛みつこうとしていた!
「ソクラテスっ!」
あたしの守護者があたしの自意識に反応し、その牙を双剣で受け止め、そのまま牙と顎ごと斬り開く。
危なかった…
体勢を整える為、後退する。
隙を見て背後を見た。
幽者の大群に圧され続け、あたしは遂に最終ラインの牢獄の末端まで押し込まれていた。
にじり寄る無数の幽者、その数は減っている…はずだ。
「零…ソッチは…」
呼吸も荒く、声を出すのも一苦労だ。
「千さん、まだなんとか…極力消耗を抑えながら攻撃を往なしていますが…」
「でも、千さんの…いえ、幽鬼がコチラの動きを把握してきています。」
「確実に動きがよくなってきていて…」
「そうか…本当に…すまない…」
「っ!…千さん! そっちの状況は!?」
「大丈…はあっ!」
近づいてきた幽者を突き刺す。
「大丈夫そうに聞こえませんけど!?」
「1匹倒した…だけだ…」
「あとは…どのくらいですか?」
「…たくさん…」
「千さん…」
「おそらくですが、このシレン。千さんの舞台に負荷を掛け過ぎてます!」
「そうかもしれ…ないっ!」
もう1匹…
「だから、私がこの幽鬼を倒して、千さんの所へ…」
「絶対にダメだ!」
体内の酸素が消費される…ツライ…苦しい…
でも、あたしは叫ぶ。
「頼むから…零…カハッ」
「千さん!?」
さっきの大声で呼吸が更に乱れて咳き込む。
運が悪かった。
花型の幽者がいる。
遠方から自ら生じた種を掃き出し、種礫をしてくる厄介な幽者。
ソクラテスがいくつかの種を弾いてくれたが、捌ききれなかった種が咳き込んで動けないあたしの腹部に直撃する。
「グハッ!」
「千さん!?」
幸いにも距離が遠かったのか、内臓を損傷するまでは…
しかし、しばらく動けそうもない…
「ソクラ…テス…」
自意識を強く!
まだ倒れることは許されない!
自意識を保てば、あたしが動けなくても、ソクラテスが守ってくれる。
「千さん…」
悲しそうな零の声が聴こえる。
「千、罪を犯した娘を持って、父さんはなぁ~っ!」
壊れてしまった父さんがいる。
あたしはもう、何も失いたくない…
「ヘラクレイトスっ!!!」
零が守護者の名を叫ぶ。
「あの幽鬼を斬って!!!!」
「なっ!?」
耳を疑った。
「やめてくれ、零!」
痛い?苦しい?
あたしは身体への負荷も考えず、叫んでいた。
「父さんに、指一本も触れてほしくない!」
ヘラクレイトスの剣戟の音と、零の剣が何かを切り裂く音が聴こえる。
「零っ!」
「千さん、ごめんなさい!」
「私は…」
「千さんのお父さんを殺します!」
「いやだ、思い止まってくれ!」
「嫌です! 千さんのお願いは聴こえませんし、聞きません!」
「何故、どうして!?」
零が戦う音とソクラテスがあたしを守って戦ってくれている音が耳に残る。
「私と千さんの正義の為です!」
正義…
「共に生きて下さい!」
「私を支えて、生き続けてください!」
「殺してしまった3人の為に、この理不尽に抗って!」
「私と一緒に、生き切ってください!」
「ヘラクレイトスっ!!!」
零はそう叫んで守護者と共に突き進む。
あたしは…零の言葉が嬉しくて泣いていた。
でも、嬉しいという感情の他に…
あたしの中である感情が渦巻いていた。
「あたしも、零と共に生きたい!」
(正義)
「でも…だからと言って…」
「あたしの家族を斬ってほしくない!」
「あたしから大切な家族を取らないでくれ!」
母さん(喪失)
「零にこれ以上、罪を背負ってほしくない!」
小衣さん、777、みらい(罪)
「あたしの大切な零を、その罪で穢さないでくれ!」
零(憎しみ・穢れ)
「理不尽に抗う?」
「理不尽なんて、もう十分だ!」
理不尽
「未だにこんな悲しい理不尽が続くなら!」
「あたしはそんな理不尽そのものを解りたくない!」
「理不尽だという認識もしたくない!」
自意識
「あたしはどうなっても構わない!」
自我
「すべての罪も穢れも、あたしが全て」
「背負い尽くして果ててやる!」
崩壊
「辺獄のルールを逸脱した罪人を…」
「あたしの大切なモノを壊す罪人を…」
「全ての罪人を貫き滅ぼし…」
「断罪してくれ、ソクラテス!!」
5章-3 エピソード零:極上の喜劇のその先へ(終幕)
「私を傷つけた!? これは傷害罪、いや殺人未遂罪!」
千さんの…いや、倒すべき幽鬼が罪名を叫ぶ。
「ここは辺獄です!」
「法律なんて意味をなさない、理不尽の世界!」
「だから、私が…私が貴方を殺します!」
「ヘラクレイトス!」
「我が主人よ、覚悟は出来ているのだな?」
「はい! 私がこの手で、千さんを救います!」
私がヘラクレイトスに私の覚悟を示した時、
「全ての罪人を貫き滅ぼし…断罪してくれ、ソクラテス!!」
千さんの叫びが空間を通して聴こえる…
私は、千さんの心を傷つけている。
それでも私は、私達の正義を貫きたい!
「行きます、ヘラクレイトス!」
幽鬼の拳が私達に振り下ろされる。
ヘラクレイトスはその巨大な剣で防ぎ受け止める。
その隙に私は幽鬼の懐へ!
私の剣が幽鬼を切り裂く。
次の攻撃の挙動の前に、撃ち込めるだけの斬撃を!
「討ち滅ぼせっ! エエエイッ!」
牢獄は、私とヘラクレイトス、幽鬼の攻防による剣戟が鳴り響き、
「嗚呼アあ~っ!!!」
千さんの叫び声と、暴風が吹き荒れるかのような何かが空を斬り、何かを引き裂く様な音が鳴り響いていた。
「ああ…千、想真…愛しているよ…」
幽鬼が断末魔を呟きながら、その巨体を横たえ消滅していく。
あの巨体なのだから、消滅に伴う黒煙もしばらくその場に残るだろう。
私は、千さんの大事なモノを壊した。
「恨むなら、恨んで…」
私が漏らした言葉は、千さんのお父さんだったヒトへの言葉だったのか?
それとも、ただ生きてほしい千さんへの言葉だったのか?
一息つき、呼吸を整える。
暫くして、
「ガシャンッ!」
おそらく牢獄と牢獄を繋ぐ連絡通路の牢が開いた音だ。
さあ、私はそこから千さんの元へ…
「私が、千さんを救うんだ!」
「我が主人っ!」
ヘラクレイトスが叫ぶ。
「えっ?」
未だ黒煙が残る牢獄。
その黒煙を突っ切って、猛スピードで黒く紅い塊が私に向かって突進してくる。
「間に合わない、衝撃に備えよ!」
ヘラクレイトスが巨剣でソレを受け止める。
圧倒的な速度でぶつかってきたソレの衝撃は凄まじく、ヘラクレイトスは掻き消え、私は牢獄の隅へと吹き飛ばされた。
私の生存本能が効いたのか、身体がなんとか受け身を取ってくれたのと、ヘラクレイトスが緩衝材となり意識を失わずに済んだ。
ゆっくりとその黒く紅い塊に視線を向ける。
先程の幽鬼の黒煙とは別に、赤く燃え盛りながら黒煙を立ち昇らせるソクラテスの姿があった。
先程のスピードが嘘の様に思えるほど、ソクラテスはゆっくりと私に近づいて来る。
私は、ソクラテスの周囲にいるであろう千さんの姿を探す。
しかし、どれだけ見渡しても千さんは見当たらない。
「千さん!」
「千さん、返事をしてください!」
私の声が牢獄に響く。
声の反響が止むと、静かに聞こえるのは何かが燃え盛る音。
おそらくソクラテスから発せられている。
「ヘラクレイトス!」
「身体に大事はなさそうだな、我が主人よ。」
「この状況は? 何故、ソクラテスしか見当たらないの?」
「我にも理解が及ばない事象が起きている。」
「私は、どうしたらいいですか?」
「我は主人の自意識の指示に従う守護者なり。」
「…つまり、私が決めろと言う事ですか?」
「そう言う事だ。」
いつものことのような気もするけど…
「なら、まず状況を見極めます!」
「防戦に回りつつ、千さんの牢獄へ。千さんを探します!」
「心得た。我はソクラテスの双剣から我が主人を守ろう。」
私はソクラテスから出来るだけ距離を取りつつ、千さんのいる牢獄へ走った。
連絡通路を通って、千さんの居る牢獄へ。
牢獄について驚いたのは、幽者が1匹も存在しない事。
いつかはわからない。
千さんと、あのソクラテスは条件を達成したのだ…
「千さん!」
「千さん、どこですか!?」
大声で叫びながら、私は牢獄を彷徨う。
幽者が無数に集められていたこの牢獄は、私がいた牢獄よりも広い。
きっと、どこかに千さんが…
暫く牢獄を彷徨うと、所々で輝く何かが牢獄に落ちている事に気づく。
それを手に取ってみる。
「これは…理念(イデア)?」
「我が主人よ、ソクラテスが来るぞ。」
再び、あのソクラテスが猛スピードで突撃を仕掛けてくる。
「今度は躱せるか?」
「やってみます!」
私は回避する事に集中し、突撃のタイミングに合わせて横に大きく転がり避ける。
今度は避けることに成功した。
「あの速度では直ぐに止まることは能わず。」
「そうですね、今のうちに体勢を整えましょう。」
「我が主人よ、先程主人が手に取った理念だが…」
「それはおそらく、ソクラテスの主人のモノだ。」
千さんの理念(イデア)?
千さん、また泣いていたんですね…
でも、千さんを傷つけて泣かしてしまったのは…
私だ。
「そろそろ来るぞ、警戒を怠るな。」
ヘラクレイトスと共に身構える。
徐々に近づいてくる、紅炎と黒煙。
私達と対峙するソクラテスは、その紅炎と黒煙を噴き上がらせる代わりに、その姿を徐々に消失させ、その姿が変貌していく。
ソクラテスの黒い鎧兜が消失し剥がれ、そこから現れたのは…
「千さん…」
千さんは無表情のまま、その瞳から涙を流していた。
「千さん、無事ですか?」
返事はない、表情も変わらない。
ただ、目を見開きながら泣いている。
零れた涙は牢獄に落ち、光り輝く理念(イデア)となった。
「そういうことか。」
「ヘラクレイトス?」
「ソクラテスの主人は、己が自意識を燃焼し、それを代償としてソクラテスを強化した。」
「それって…つまり…」
「この戦いの終わりは近い。」
「我が主人よ、覚悟を決めるのだな。」
千さん(ソクラテス)が再び襲い掛かる!
今度は突進ではない、ソクラテスの双剣が私に迫りくる!
「ソクラテスは我が受け持とう。」
ヘラクレイトスが巨剣で双剣を防ぐ。
「主人は、主人の方を頼むぞ。」
「え?」
ソクラテスの腕とは違う、か細い腕が私に迫る。
その手に握られているのは、千さんの2本の剣だ。
私の剣で1本は防げる。
でも、もう1本は!?
身体をひねって何とか躱す。
でも、私はずっと見てきている。
千さんの戦い方を!
返し刃だ!
躱した剣が再び軌道を変えて私に迫る。
躱せた…でも、躱しきれてない!
「っ!」
剣は私の横腹を少し霞め、私を傷つけた。
一旦後退し、体勢を整える。
時間が経つと共にソクラテスの鎧は剥がれ落ち、千さんが現れ始める。
千さんは無表情のままだ。
千さんとソクラテスの剣閃が来た!
「耐えるのだな、我が主人。」
幾度の剣戟が牢獄に鳴り響く。
攻防により火花を散らす2人の守護者。
一方は理念を生み出し牢獄を輝かせ、もう一方は激しい剣閃に傷つく2人の主人。
こうして、遂にその時が来た…
ソクラテスの鎧は消失し、その手に持った双剣は黒煙を噴き上げ燃え尽きた。
ヘラクレイトスは無言で私の後ろに立つ。
私は牢獄で腰を着き、眼前に迫る剣と、その先に立つ千さんを見つめる。
千さんの剣は、1本は私の喉元に狙いを定め…
もう1本の剣は、自身の首へとあてがわれていた。
千さんは何も変わらない。
ただ無表情のまま、泣きながら、理念(イデア)を生み出しながら…
私をずっと見つめている。
「千さん…」
返事はない。
「私、千さんの大事なモノを壊しました。」
そもそも聴こえていないのかもしれない。
「私は、罪人です。」
「私を、その剣で断罪するんですよね?」
無表情のままだ。
「でも、だからと言って…」
「その剣で私を殺す罪を、千さん自身が断罪する必要なんてありませんよね?」
おそらく千さんは、全ての罪人をその手で裁こうとしている。
コレから罪を犯す自身も含めて…
「千さん…」
返事はない。
「私を憎んでもらって構いません。」
「それだけのことを、私は犯しました。」
「でも、もし…許されるなら…」
「私を殺したとしても…」
「千さん…」
「アナタだけは、生きてください!」
「私は、アナタが犯す罪を許します!」
私は目を閉じ、断罪を受け入れた…
「終わったな。」
ヘラクレイトスがそう呟く。
急に、何かが私に覆い被さってきた。
私は目を開く。
千さんだ。
その姿は思装が解け、シレンに挑む前の姿だった。
「我が主人よ。」
「ソクラテスは今、主人の自意識を全て燃やし尽くし、果てた。」
それは…
「この者は、守護者と思装を失った。」
「それはつまり…残念だが、そういうことだ。」
こんなに悲しそうな声のヘラクレイトスは初めてだ。
私は、その言葉の意味をゆっくりと理解し始め…やがて理解した。
「ごめんなさい、ヘラクレイトス。」
「二人だけにしてくれませんか?」
私は、千さんを強く抱きしめた。
「我が主人の意のままに…」
ヘラクレイトスの姿は消えていった。
6章-1 エピソード零:変わらぬ正義
アノ出来事から数か月が経過しました。
もし、アノ時…
私が、千さんのお父さんを壊す前に…
千さんがもう少し早く条件を達成し、駆けつけていたら…
千さん、アナタはおそらく…
アナタの手でお父さんを壊していたのかもしれません…
千さんの大切なモノが壊され、もしくは穢される前に…
私が壊され、もしくはお父さんを壊した罪で穢されないように…
もしそうなら、千さん…
アナタはそのまま、アナタ自身を断罪していたのかもしれない…
私は、そんな結末を見たくない…
アナタの心が傷付き、その罪で穢されるのを見たくない…
だから、私は…
アナタのお父さんを壊したのが私で良かった…
アノ時、千さんは…
何故、私を断罪しなかったのですか?
あと少し、その手に力を込めて…
もう少し、その剣を私に近づけていれば…
千さんの大切なモノを壊してしまった私を断罪する事が出来たはずです…
でも、千さんはずっと泣き続けるばかりで…
もう、理由を訊ねることはできませんね…
だから、私はこうであったと願います…
千さん、アナタは…
私を大切だと想ってくれてたから…
私の罪を裁く事、私の罪を許す事…
その両方で思い悩んで、心が揺れ動いてたんだと想ってます…
千さん、私は…
結局、アナタの心に負担を掛けてしまいました…
思い悩ませて、ごめんなさい…
お父さんを殺してしまって、ごめんなさい…
そして、アナタをこんな状態にして、ごめんなさい…
でも…
こんなことを想うのは不謹慎かもしれませんが…
この結末が、あの状況では最良だったのではないか?
私は、そう想っています…
誰も幸せになっていません…
でも、それでも…
アナタが生きていてくれているから…
千さん、アレから私も少しは料理が上手くなったと思ってます…
千さんは究極の食材:ポテトの事を訝しんでいましたよね…
あの時、千さんが言ってくれたこと…少しは理解できました…
栄養管理として、ポテトは大変重要ですが、他の食材も出来るだけバランスよく…
そうやって少しずつ料理の腕を上達させて、必ず美味しい料理を作ってみせます…
その時が来るまで、下手な料理でごめんなさい…
待っていてくださいね…
私なりに、前進していますから…
心の準備を整えて、私は姿見の前に立つ。
姿見には、私と車椅子に座ったアナタが映っている。
「正義…」
無表情のまま目を見開いたアナタが、その言葉をつぶやいた…
私は、アナタの背中の前に立ち、
そっと、アノ時の様に…
私はアナタを包み込む。
「大丈夫ですよ、千さん。」
「私も、千さんと同じです。」
そして、耳元に顔を寄せ…囁いた。
「私達の正義は、共に生きる事。」
「共に支え合って、生き続ける事。」
「殺してしまった4人の為に、この理不尽に抗って生き続ける事。」
安心したのか、千さんは目を閉じていく。
眠ってしまったようだ。
その寝顔を見ながら…
そっと、その手を握りしめる。
そろそろ行こう。
「じゃあ、千さん。」
「辺獄へ行ってきます。」
6章-2 エピソード■:喜劇の記念
わからない…
●●●は、だれ?
だれ?
わからない…
はいる?
噛む…
おいしい?
まずい?
わからない…
ことば?
こころ?
わからない…
正義…
知ってる…
いみ?
わからない…
背中…
温かい…
知ってる…
■さん?
わからない…
いきる?
わからない…
ささえる?
わからない…
りふじん?
わからない…
背中…
温かい…
冷たい…
知ってる…
あんしん?
わからない…
眠い…
…
深く眠る彼女に近づく者がいる。
「ねえ…メフィスちゃん…なんでこんな壊れたおもちゃを放っておくの?」
「確かに壊れておるが、コレでもワシらの代行者じゃ。」
「でも…思装も守護者も…そもそも自意識が壊れてるよぉ…」
「そのようじゃな。」
「じゃあ…このまま辺獄に置き去りにして…幽鬼たちの餌にぃ…うふふ…」
「メフィスよ、それは少々勿体ないぞ?」
「えぇ…なんで? コレもメフィスちゃんの慈愛の心?」
「コヤツを見てて、何か想い出さんか?」
「そういえばぁ…うふふ…」
「コヤツを見ているだけで、あの極上の…いや、至高の喜劇が目に浮かぶように想い出されるじゃろ?」
「本当だぁ…アノ時の…アノ舞台を想い出してくるよぉ!」
「フフ、そうじゃろ。」
「人間が心に残る舞台や映画を観た時、パンフレット等の記念品を購入するアレじゃ。」
「ああ…メフィスちゃんが言いたい事が解かるよぉ…」
「そうじゃ、コヤツはアノ至高の喜劇の記念品じゃ!」
「こんなレアなモノを捨てるなぞ、勿体なくてワシには出来ん。」
「そうだねぇ…うふふふふ…」
「まあ、そういうわけじゃ。」
「だから千よ、零とワシらの為に精々永く生き続けてくれよ。」
「あははははははっ!!!!!!」
※読み替え:●●●=あたし、■=千
6章-3 エピソード久遠:彼女の理念(イデア)
牢獄。
かつて、様々な理不尽な悲劇が起きた場所。
そこに幽鬼の少女が1人舞い降りる。
この悲劇の舞台に、かつていくつもの理念(イデア)が落ちていた。
その全てが双子の悪魔の手により回収されている。
彼女は丹念に牢獄内を探す。
牢獄の末端、彼女はそこに一つの理念を発見する。
悪魔が見過ごし、回収し忘れた理念。
彼女はその理念に手を触れる。
その理念から伝わるのは、理不尽により涙する黒髪の少女の記憶。
「これは零姉さんの理念ではない。」
「とても悲しい。こんな理不尽は許されない。」
「でも、ごめんなさい。アナタは私や零姉さんとは別の魂。」
「他の真理念(アレセイア)の様に、私の魂に刻み込むことは出来ない。」
「でも、だから。私の自意識で覚えておく。」
「アナタの名前は、恵羽 千。」
「零姉さんを心から、大切に想ってくれた人。」
その少女は泣きながら、その理念を抱きしめた。
スペシャルサンクス&今回の関連記事:クライスタ
スペシャルサンクス:L氏(Xフォロワー様)
今回の妄想二次創作に繋がるキッカケの起点は、日課であるXでの活動報告。
想い出回としてクライスタの想い出を投稿した際、L氏のクライスタへの熱い情熱の語りがきっかけでcan cry → can’t cry → やさぐ零ちゃん → 今作裏の主人公:千ちゃん(共通認識)
→ 千ちゃん大好きFever
→ 2回目プレイしたい!
という、よくわからない状況を経て…
再プレイ日記 → クリア
→やっぱり、クライスタが好き!
その情念は、メフィフェレ&その他が私の脳内妄想領域に居座り始めてどんちゃん騒ぎへ発展!
結果、好き勝手な言動に私の脳内妄想領域が変獄を形成し、このような妄想劇場へと発展することになりました…(※とっても痛い人)
そんな妄想二次創作に興じる私に、
「例の紅茶」
や、狂気の熱量を伴う感想をぶつけ続け、
私のノリとテンションを維持し、支えてくれたのが某L氏。
そんな感じで、構想していたこの妄想劇場は終幕することが出来ました。
千「あたしが言うべきではないのだが…感謝している。」
小衣「ウチもや~っ!」
本当にありがとうございました…
●初回プレイ時感想・評価↓
●2回目プレイ日記:1~5章
●2回目プレイ日記:1週目6~8章
●2回目プレイ日記:2週目6~8章
●2回目プレイ日記:3週目6~8章(この回がベースの二次創作)
●2回目プレイ日記:最終章







コメント